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十二日目 令和元年五月十日 十五時頃

 東海道中有松日本橋 満願大成就膝栗毛。十二日目 令和元年五月十日 十五時頃。相模國。戸塚宿。

【上段左】「これよ里(り) か満(ま)くら道」と彫ってあると思われる道標。風化がかなり進んでいる。

【上段中】八坂神社の手水鉢盃状穴あり。奉納年月不明。

【上段右】澤邊本陣跡明治天皇も泊まった

【中段左】伊東医院大正十四年(1925)に今の建物になった

【中段中】宿場町の名残。現在は令和五年現在は潰されてしまっている

【中段右】レンガ製の蔵鎌倉ハムの倉庫だったらしい

【下段左】ぽつんと残る土蔵

【下段中】このあたりでは珍しい地蔵。しかし忘れされている。

【下段右】品濃一里塚。日本橋から九つ目。終点は近い。気になるのは左の「私有地に付き立入禁止」という看板。一里塚が私有地ということがあるのだろうか。幕府の街道整備事業の一環なので、江戸時代から事実上の公有地という認識のはずだ。おそらく戦後のどさくさで個人が占有したのではないか。全くもって恥ずかしい所業である。

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