なんのために演劇をするのか。
プロになれなかったら意味がないと思いますか。演劇を始めたころの私はそう思っていました。演劇を仕事にして食べていけないんだったら、それは自分の努力が足りないか、圧倒的に才能がないか、超・運が悪いか、食らいつく精神的強さが不足しているか、そのすべてか。それだったら自分って本当に価値がないだろうなあと思っていました。
そんな私は今、舞台演劇だけでは食べていません。もう少し広い意味で、役者だけで食べているかといわれてもノーです。演劇に関係のある仕事は、演劇部の指導員やコンクールの講師。そこまで含めても、生活できるほどの収入はありません。でも、私はたまたま運よく、今も演劇に関わり続けています。21歳の時に通った俳優養成所の同期生は21人いましたが、演劇を続けているのは片手で数えられるくらいです。東京で演劇を専業にしている人は一人もいません。つまり誰も売れませんでした。ただ、続けている人は働きながら地元で劇団をつくったり、地方でボランティアに近い演劇活動をしたり、地道に「演劇を続けて」います。私はそれを心から尊敬しています。
私は小劇場演劇が好きで、主に小劇場で公演を行う劇団にいたので、小劇場を中心に活動してきました。自分で劇団を旗揚げしたこともあって、もちろん予算を組んだこともあります。その経験から言うと、東京という大都市にあっても、小劇場演劇で大きな黒字を出して、みんなが普段アルバイトして得ている収入並みのギャラを払うことは、ほぼ不可能です。もしそれを本気でやろうとするのであれば、「すごくチケットを高くする」もしくは「すごく長い期間公演する」または「グッズをめちゃめちゃ売りさばく」のどれか、もしくはいくつかで、継続的に成功を納めないといけません。テレビに出ているような役者がいるわけではなく、本当に演劇作品そのもので勝負しようとしたとき、これはかなりかなり、難しいことです。じゃあ有名な人を連れてくる、となると、その人に払うギャラが発生します。
問題点としては、「演劇に4500円もしくは5000円払うのが安いのか高いのか」ということもあります。よく「映画だったら2000円で見られるのに、舞台って高いよね」といわれますが、映画は録画したものを再生しているので、全国で同じ時間に何館も上映できます。演劇は、その劇場に全員がそろって、せーので始めないといけません。スタッフさんまで入れたらおよそ20~30人、またはそれ以上の人間がその場に張り付いて、その日そこにたった一つの演劇空間を成立させなければいけません。そう考えてチケット代は高いのか、安いのか。どうなんでしょう。
じゃあ大きな劇場でやればいいのかもしれません。マイクをつけて、2000人入る大劇場や、1万人入るスタジアムでやる演劇もあります。そしたら1回で得られる収入が多くなり、みんなにギャラが払えます。問題はそれだけ動員できるかどうかですが、それができる人たちがやるのが、「商業演劇」です。役者の能力も求められますが、知名度や人気やファンの数も大切で、テレビCMや広告に大きな費用をかけられるスポンサーがついています。題材はできるだけわかりやすく万人に共感してもらえるようなものを目指していることが多いです。
動員をしたいなら、「学校の演劇鑑賞会」で解決できるかもしれません。ひとつの学校で何百人かの生徒が観てくれます。学校単位で収入も得られます。そうやって全国の学校を回る演劇団体があります。そこは、期間契約をしてくれたり、お給料やギャラを払ってくれます。劇団が自分のところのオリジナルの作品を学校の演劇鑑賞会に売り込むこともあります。もともとある物語を原作にした脚本にすれば、受け入れてもらえる可能性も高まるかもしれません。
劇場費や施設費、スタッフの人件費を極力抑えるために、劇場ではないところで上演することもできます。小さなカフェやバーなどで、飲食もしてもらって売り上げに貢献しながら、できるだけ少ない人数で行えば、ある程度の取り分を確保できるかもしれません。劇場でない分、上演できる作品は限られますが、興行として成功させることは可能かもしれません。
演劇にはとてもとても多様な形があって、それと同じだけ、多様なかかわり方があります。ほとんどセリフがないアンサンブルでも、商業演劇であれば、アルバイトしなくていいくらいのギャラがもらえるものもあります。(もちろん、アンサンブルにもとても大切な役割があり、その場を成立させるのに欠かせない存在です。)一方、いくら分量の多い出番やセリフがあっても、報酬がゼロだったり、チケットを売った数×数百円しか収入がない舞台も存在します。
さて、これって、どっちのほうがいいんでしょう。
ここで結局、「お金のために演劇をやっているわけではない」という考えが出てきます。多くの人が、お金のためではない理由で演劇をやっていることに気づくのです。
お金をもらうことを前提でやっている仕事で、お金が支払われなかったら、それは詐欺であり搾取でありブラックなのですが、演劇の場合はそうとは言い切れません。だってそもそもお金もらおうと思っていないもん、という人もいます。そう言いながら寝ずにアルバイトをして稽古に行く人もいます。と言って、その人は搾取されてないんでしょうか。そんな生活で健康を害しても、誰も助けてくれません。
とはいえ、私も「お金のために演劇をやっているわけではない」と思っている部分はあります。そう言ったら怒る人もいると思いますが。値段が高ければいい商品とは限らないのと同じで、いやそれ以上に、演劇は、お金がかかっているからといって面白いとは限りません。(逆に値段が安い演劇でもものすごく面白いこともまれにあります。ただ、劇場が古いとか衣裳がしょぼいとか舞台装置がないとか、そういうハンディをすべて乗り越えたうえでの面白さなのでかなりハードルは高いですが……。)
というかそもそも、面白いって何。
あの人が面白いというものが私も面白いと思うとは限らないのです。演劇は映画やテレビドラマよりもさらに幅が広く、エンターテインメントとしての魅力だけではなく、実験的なアートの世界だったり、文学的な世界だったり、ダンスや歌や、なんならスポーツが舞台上で行われたりします。ある一つの基準から面白さをはかることなんて到底できないバラエティに富んだ体験、それが演劇なんです。生身の人間がそこにいて、お客さんと同じように息をして鼓動をしながら、その日その時間にその場所にいなければ味わえない感情や世界を丁寧に紡ぐ。
自分が関わる作品が、興味深いと心から他人におすすめできるものなのか、それが私にとってはとても重要です。素晴らしい演劇作品は観る人の人生を変えるし、明日からの一歩を踏み出す力になると信じているから、自分の身に入るお金よりも、自分という役者と、作品や団体との相性、そして観る人にどんなものを感じていただくことになりそうか、という部分を最も考えています。初めて出演する団体だったら、私をいつも観てくださる方に新しい素敵な世界をご紹介できる可能性があるかどうか。
そう考えてこれまで関わってきた作品は、結局、私自身の人生にも影響を及ぼすものばかりだったし、その選択が今の自分を形作っているとすら思い、とてもありがたいことだと思っています。
演劇を使って路上パフォーマンスをする商店街アイドルを10年続けていますが、これはほぼすべてボランティアです。大声で言うことではありませんが、ホームの商店街ではほぼノーギャラです。でも、演劇なんてきっと知らないであろうおばあさんと、一対一で演劇を取り入れた遊びをして「久しぶりに人と話せてとても楽しかったわ」と言われたときには涙が出たし、演劇なんてきっと見たことのないおじさんに「楽しみにしてるからまたやってくれよ」と言われたら、演劇やっていてよかったなと心から噛みしめるように思うのです。
演劇を始めたころに思っていた「プロになれないんだったら私には価値がない」という考えは、今考えればとても薄っぺらい気がします。たまたま社会の流れがどんどん変わってきて、2足や3足のわらじを履くことは珍しいことではなくなってきました。副業を持つことが、しっかり将来を考えていない、だらしがないことではなくなってきました。そして、あの頃思っていたプロというのとは違っても、自分は何かの役に立てていると思えることがたまにあるのです。それって大人として仕事をして、価値を生み出しているということだと思うんですよね。
私はご縁があって文を書く仕事や、とても暖かいアルバイト先に恵まれましたから、突然の仕事が入っても時間をやりくりして働くことができています。それで演劇も続けてこられました。毎日劇場に通って、終わったら稽古場に通うという、想定していた生活とは違うから、これが21歳の自分にとって「演劇を続けている」と言えるのかどうかはわからないけど、今の私は、これでも「演劇を続けている」と思っています。
でもね。
アルバイトしながら夢を追うことは、実際とても大変です。実家が遠方にある人が東京で一人暮らしをし続けるのはとても大変です。とにかく、お金が、かかります。
30歳を過ぎて、周りに結婚をする人も増えました。結婚して、お芝居を休んだり辞めたりする男性、子どもができて、お芝居を休んだり辞めたりする女性。いろいろな仲間が去っていきました。多くが、お金の問題です。人間が生きていくのに、お金は、必要なのです。
売れなきゃ、無理。続けていけない。それはほんとうにもっともなのです。私みたいに長く演劇を続けてこられた人間が、今から演劇をはじめよう、続けようという人たちのために、ほんとうは、もっと続けやすい環境やしくみを、作ってあげなければいけないのかもしれません。(そこへきてここ2年の状況もあるので、私たちも必死なのですが。)それには、まず演劇という文化のことを、まだまだ、まだまだ多くの人に知ってもらわないといけません。いかに演劇が素晴らしい体験と、人間同士のコミュニケーションを生む要素をはらんだツールなのか。第一に、いかに面白いのか。そしてそれと同時に、いかに時間とお金がかかるのか。
劇団が演劇を1本作るのにかかる時間は3か月~1年以上。稽古だけでも3週間~2か月かかります。もしその時間すべてに時給が出るなら、私は今ものすごいお金持ちでしょう。でもそうはいかない。それでもなんでやるのでしょう。売れもしていないのに。お金にもなっていないのに。
その答えが少しでも気になった方は、近場の劇場でやっている演劇公演を、2~3本予約して一気に見てみると何か、わかるかもしれません。1本じゃだめですよ。ものすごく幅広いから、好みにぴったりくるかはわかりません。……といってやってみたけど何もわからなかったらすみません。責任は取りません。ただ、演劇界は新しいお客さんのあなたを大歓迎します。もしも素敵な体験ができたらぜひ独り占めしないでみんなに分けてあげてください。
ここまで書いてきて思ったのですが、私はまるで、鉄道を走らせるために副業でせんべいを売っている、あの銚子電鉄と同じようなことを言っているではないですか。
演劇を続けるために、副業でいくつもの仕事をしているけど、そっちが収入のメインだからって演劇をやめたら、私は私じゃなくなってしまう。
せんべい作りがメインの収入だからといって銚子電鉄は鉄道事業をやめてお菓子屋さんになればいいのかという話題が今年持ち上がっていましたが、その通りだという人は少なかったのです。
私もなぜか、そっくりじゃないですか。演劇をやるのは自分のためだけでなく、自分という人間を形作るのに必要だった演劇という存在に恩返ししたいし、演劇を通して救われる人や前向きになれる人をたくさん知っているから。そして自分自身、演劇がなかったらこんなふうに毎日をうれしく楽しく幸せに暮らすことはできないから。お金を稼げる別の仕事のご縁に恵まれたからといって、演劇をやめる理由にはならないんです。
約5000文字も書いてしまいました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?