見出し画像

いのちの電話

昔ずーっとむかし、いのちの電話に電話したことがありました。些細なことかもしれないけど、生きていく道に迷ってしまって、もちろんその時も演劇をやっていて。どこか遠くに行きたくなって何時間も電車に揺られて銚子の犬吠埼まで行って海を見て泣いて、迷いながら電話したとき「でも好きなことやってるんですよね」って言われて。

そうか、ここは食べ物も着る物もなくて困ってる人のための電話だったんだ、って場違いを思い知って、でも私は演劇がなかったら生きていけないのに、って思った。その頃は、そのためなら着る物も食べ物も最低限でいいって思っていた。でもとてもお金もなくて、たまたま人間関係にも悩んで、そういう時はどうすれば。

でも実はわたしはその時の電話口の知らない人の「でも好きなことやってるんですよね」という言葉にすこし、怒りが沸いた。電話する前までの感情とは違う感情が沸き上がった。それで電話を切って、噛みしめて、(たしかにわたしは好きなことをやっている)と思った。怒りは変わらなかった。それで黙って帰った。で、今も好きなことやっている。

怒りは人を生きさせる。息させる。
もしかしたらあの電話口の人はほんとうのプロだったかもしれない。わかんないけど。私はその怒りで生きた。発奮した。べつにすごく飛躍したわけじゃないけど、あのとき本当にどこか遠くへ行っていたら今はないから、あの電話口の知らんひとにはありがとう。

今でもその言葉を思い出すと、小さな怒りが沸く。それは今も私のエンジンを震わせている。
好きなことやってるからといって、どんな不遇や不条理にも耐えなければいけないなんて法はない。逆に、我慢している人が幸せになれるとも限らない。
好きなことやって幸せに生きていいと私は思うし、好きなことやって幸せを求めていいと思う。
ただその幸せの形は十人十色で、こうと決まった幸せというものは、存在しない。今はそういう時代。

人と違う自分に絶望もしたけど、人と違う自分に驚いたり嬉しくなったりもする。あんなだった私もだんだん、今の時代に生きる大人になってきたかもしれない。
あの時遠くに行かなくてよかったなぁ、と今は思っているんです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?