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雨のかみさまと泣き虫の薬指【短編小説・1199字】

 ほうら、また泣き虫の泣きぼくろが増えるよ、と。母は叱責の度、苛立った声で私に言った。ダメな娘。私は高校生になっても、涙の止め方がわからなかったのだ……あの日、彼に出逢うまでは。

 朝早く、家から逃げるように登校した昇降口で。
 こらえていた涙が勝手にポロポロとこぼれ出し、誰か登校してくる前に泣きやまなきゃ、と必死になっていた私はふと、胸騒ぎを覚えた。

 顔を上げ、グラウンドへと足を踏み出す。

 昨晩の大雨がピタリ、とやんだ後の青空。広いグラウンドのあちこちに生じた水たまりが空と雲を映し、私はその、なんでもない美しさに息を呑む。

 ……どうして、私は。
 こんなふうに、泣きやめないんだろう。

 と。
 水たまりのひとつが光り、目を凝らした次の瞬間。
 彼が、そこにいたのだ。

 彼は私を見て一瞬目を瞠り、それから微笑んだ。白い肌。瞳と長い髪は、透き通った青と緑が混在して光を内包し、反射する。

「きれい……」
 
 見惚れていると、彼が近づき、そっと私の頬の水滴に触れた。

「お前は儂が見えるのだな。いや、お前は。儂が受けるべき供物か」

 儂、と言うのに、私と同い年くらいの外見をした彼の顔が急に近くなり、私の頬をペロリと舐める。

「ひゃっ」
「ハハッ。ならばお前との、しばしの逢瀬を楽しもうか」
「オウセ?」
「でえと、だな」

 ふわりと抱かれ、お腹の奥がヒュッとして。気がつくと私は彼と、学校の屋上にいた。
 起こった事に、頭が追いつかない。なのに、柵越しに見る雨上がりの景色の美しさ、そして私の肩を抱く彼との距離の近さに、鼓動が私を追い越してゆく。

 しばらくして彼は私の右手を取り、その薬指をぱくりと咥えた。

「っ?!」

 痛みのないまま、私の右手から薬指が無くなる。彼は自身の右手の薬指を外して私の、元の薬指があった場所に差し入れ、咥えていた私の薬指は、彼の右手の薬指になるように差し込まれた。

「ひと目惚れ、と言えばわかるか? よいか、また来る年、儂はお前に会いに来よう。指を返したくば、そのときに告げよ。それまでの縛りだ」

 私のものではない、右手の薬指。
 それが私の涙を吸い取ることに気付いたのは、その何日か後だった。
 去り際に「儂は雨の神なのだ」と言った彼の指で、私は泣きやめるようになって。

 私はそれに、何度救われたことだろう。

 それから年に一度、六月の大雨の降った翌朝。私は彼との逢瀬を楽しんだ。他愛のない話をし最後に「指を返すか?」と訊かれ、私は小さく首を振る。そんなやり取りを繰り返し、私はどうにかこの不器用な人生を渡り切った。そしてもう、この病室のベッドから起き上がれない。

 だけどいま、彼がここにいて。
 私の右手から自身の薬指を取り、私の口に含ませて。ほろほろと溶けるそれを、私は飲み込む。

「生は楽しんだか? さて、もう返せぬし、返さんぞ」

 そうして彼は、私を連れていった。
 薬指の欠けた私の体を、後に残して。



1199字(区切り線上まで)

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