「キツネノテブクロの咲く頃に・外伝」アイラと鏡工房のお客さま(4・エピローグ)
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キツネノテブクロの咲く頃に・外伝
<外伝2>アイラと鏡工房のお客さま(4・エピローグ)
(約2600字)
ニコラとディアの二人が、鏡の修理を待って、村で過ごす間。
アイラは幾度となく、村の薬師たちがニコラに向かって「神さま」と呼びかけるのを聞いた。
当のニコラはもちろん困り顔で、アイラは別のときにニコラから話を聞いていたので、口を歪ませて笑いをこらえていた。
「五十年前の薬師たちは、ボクのことが気に入らない感じで、だから薬草もこっそり植えていくしかなかったんだけど。いまいる子たちはみんな、ボクの言うことなんでも聞いてくれて、うん、それはいいんだけど……神さま、っていうのは、なんだか、ちょっと……」
薬師たちは、本来の薬の神であるニケと、ニコラを重ねているらしい。「確かにボクの名前は、ニケにちなんで、師匠に付けてもらったんだけどね」とニコラが言い、ニコラにも師匠がいたのか、とアイラは変なところに関心がいった。
その後薬師たちはニコラに言われた通り、『聖魔の森』の入口の橋からすぐの場所に、新たに薬草園を作った。かつてニコラがこっそり植えた場所もニコラに教わり、そちらも管理組合と協力して維持している。
そして、ニコラがこっそり植えた場所は、実は聖魔の森の中だけではなかった。
「親方の親方が、いいって言ってくれたからね。種を蒔かせてもらったんだ」
工房の裏庭に繁茂する草花をひとつひとつ確かめながら、ニコラが言った。
「薬草でも、花が咲くものだけにしたんだ。あ、これ。これがボクの、いちばんのお気に入りだよ」
そうニコラが教えてくれたのは、初夏になると茎に、袋状の紫色の花をたくさんぶらさげて咲く、キツネノテブクロという名の草だった。
「この花の色がね、ディアの瞳の色と同じなんだ。……ああ、言ってなかったっけ? ディアはね、ボクの姉さまなんだ。といっても、一緒に生まれた、双子なんだけどね」
そうやって、ニコラが。
自分と親方以外には絶対に明かすことのない、ニコラとディアの秘密を話してくれるのが。
アイラは、とてもとても、うれしかったのだ。
「これから、どこへ向かうの?」
修理した手鏡の、受け渡しの日。アイラが尋ねると、ニコラが軽く首をかしげて、答えた。
「まだ少し、考え中なんだ。でもたぶん、ディアの新しい剣を探しに行くと思う」
「……また、会えますか?」
「うん、と言いたいところだけど。この村には、長くいすぎてしまったからね……でも、フフッ、ディアがまた鏡を落としてしまうかもしれないから、案外すぐかもしれないね!」
「わたしがそんなことをするのは今回の、この一度限りよ。落とすのはいつも、おまえのほうだわ」
表情を変えずに言い返すディアと、笑いながら「ディア、ひどいな!」と答えるニコラ。あのとき修理して手渡した『もう一つの鏡』にうつるのは、ディアだけ。ニコラは、アイラたちが使う鏡にちゃんとうつって、でもそのよくわからない不思議な事情なんかは、どうでもよかった。
二人のことを、絶対に忘れない……アイラはただ、それだけを願った。
だから時折、そっと目を閉じて、あのときの二人の様子や森でのこと、話したことやなんかを、追体験するように思い出す。
そうして、月日が経ち。
アイラが伴侶を得て、二人目の子を産んだ頃のこと。
夜泣きでぐずる子をあやすため、二階から工房に降りてきたアイラは、工房の裏木戸を薄く開け初夏の風を入れようとしたそのとき、窓の外にバサリ、という羽音を聞いた気がした。
「まさか、孫娘に見つかるとはね」
裏木戸を開け放ったアイラの前に、黒い翼を広げたディアがふわり、と降りてきた。
「鏡は、壊れてはいないのだけれど。近くまで来て、おまえたちのことを思い出したのよ」
ディアの姿は、記憶の中のディアとは、少しも変わったところがなかった。
月明かりを浴びるディアの、美しさ。
アイラは、これはもしかしたら夢なのではないか、と思う。
ディアは、村の結界杭の、わずかに守りが甘くなっている箇所をアイラに教え、それからディアを見てピタリと泣き止んだ子をのぞきこんだ。そして、自らの翼に手を入れて羽根を一本抜くと、子にそれを持たせてやる。子がそれに目を丸くする様子を見つめながら、ディアが言った。
「これから、月迎えの滝に行くのよ」
「えっ、これから?」
「これはニコラにも、話していないのだけれど。あの滝の一段目はわたしの、数少ない秘密の場所だから」
翌朝アイラは、自分がディアに体を拭くための布をちゃんと渡したことを、その枚数が減っていたことで確認し、そして、子の枕元に彼女の真っ黒な羽根があるのを見て、夢ではなかったと安堵した。
『月迎えの滝』の一段目の、滝つぼで……月明かりの下、翼を広げて水浴びをするのだという、ディア。
黒い翼を広げ飛び去る、その背を。
アイラは二人目の子とともに、確かに見送ったのだ。
今年も、足元にキツネノテブクロが咲く、この庭で。
『お母さんはね、空を飛んだことがあるのよ』
自分が産んだどちらかの子にか、または仲良く、両方なのか。
アイラがそんなふうに語り出す日も、そう遠くはないはずだ。
『そして、月迎えの滝の全体を、空から見下ろしたの。
……翼ある人に抱えられて、よ』
アイラは今日も、工房の炉に向かって鎚を振るい、冷ました石に磨きをかけ……作業の途中でふと顔を上げ、この世界のどこかにいるニコラとディアに、思いを馳せる。
二人に生かされたことでここに在る、自分のこの人生は、二人にとって……薬の神さまと、神さまを守る黒き翼の持ち主にとってはきっと、まばたきをするくらいの、ほんの一瞬の出来事で。
けれどいつの日か、こうして穏やかに日々を重ね、親方から親方へ、子から子へとつないだ先の日に。
二人が、この村にふらりと訪れ、また工房の客となる日が来るのかもしれない。
「せっかちは、直したんだから」
つぶやき、作業を再開したアイラの手の中で。
元はただの黒い塊だった石が、鏡になってゆく。
――鏡の、向こう側で。
いまはもうほとんどの力を失い、世界を傍観する者となった鏡の精霊が、新しく出来た窓の外側を見ていた。
鏡が初めにうつすのは、作業を続けるアイラの、まっすぐな眼差しで。幾度となくそれを見てきた鏡の精霊は、彼女の望みの行く末を思い、そして。
それにより想起された、在りし日のことを……かつて互いを隣人とし、多くを分かち合っていた頃の二つの種族のことを、思ったのだった。
キツネノテブクロの咲く頃に
外伝2・アイラと鏡工房のお客さま
<完>
キツネノテブクロの咲く頃に・外伝
<外伝2>アイラと鏡工房のお客さま(4・エピローグ)
【2024.08.11.】up.
【キツネノテブクロの咲く頃に・目次とリンク】
※カッコ内の4ケタは、おおよその文字数です。
<1>ボクは鏡にうつらない(1)(5300)
<2>ボクは鏡にうつらない(2)(6200)
<3>ボクは鏡にうつらない(3)(7400)
<4>夜に溶けて飛ぶ鳥(6200)
<幕間1>王国の滅亡と魔の一族の伝説(1600)
<5>月のない夜の姫君(1)(6000)
<6>月のない夜の姫君(2)(4800)
<7>月のない夜の姫君(3)(4100)
<幕間2>創世記・祝福の翼(1500)
<幕間3>夜色の翼は高くに(1800)
<8>そして、キツネノテブクロの咲く頃に(1)(7700)
<9>そして、キツネノテブクロの咲く頃に(2)(6500)
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<外伝1>創世記・二つの種族と二つの鏡の伝説(1900)
<外伝2>
アイラと鏡工房のお客さま(1)(5500)
アイラと鏡工房のお客さま(2)(6800)
アイラと鏡工房のお客さま(3)(7000)
アイラと鏡工房のお客さま(4)(2600)
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#お客さまは神さまなんですよってことで
#これがタイトルの由来だったり
#当店にお越しくださったお客さまで神さまな皆様に心からの感謝を
#最後までお付き合いくださりありがとうございました