お経のはじまり
今日はお経ってなんなんって話します。
なんか意味のわからん言葉が並んでて、ありがたいらしいけど…いまいちその有り難さとかよくわからんってなりませんか?
だって、どういう意味かもわからんし。
そもそもお経ってなんなんやー?
今はお経は亡くなった方への供養のためにあげてもらうものみたいになってますが、これまた本来生きている人たちのためのものなんです。
お経のはじまりは、お釈迦さんがなくなってからのお話。お釈迦さんが亡くなってみんな悲しみにくれていて。そんななか、1人の弟子が
「みんなそんな悲しむことなくない?お釈迦さん亡くなったらさこれまでみたいに守らなあかん戒律もないし、修行にあけくれることもないし自由気ままに生きれるやん!」
みたいな発言をした。
それを聞いたみんなが、
「まって、やばくない?そんなかんじでお釈迦さんが今まで私たちに伝えてくれてたことが薄れていったら…
お釈迦さんの教えをなんとか守って繋いでいかな!!!」
ってなった。
人の心って移り変わりやすいから、お釈迦さんの教えでさえこんなふうに感じ方も捉え方も薄れていってしまう。それを心配した弟子たちがお釈迦さんの言ってた言葉を繰り返し暗誦し、記録したものがお経のはじまり。
めちゃくちゃお経の種類があるのは、人の理解度に応じていろいろ例え話を用いて説き方を変えたから。それらを全部記録したので、たくさん経典が生まれたみたい。
お経は、スートラともいう。
スートラは紐とか、糸とか線の意味。ネックレスとか、数珠に通してある糸もスートラ。その糸があってまとめられてるから用をなす。
それがなければ用をなさない、大事なもののこと。
お経は天地を貫く道理を示している。
ちなみに経典には大きく分けて2つの種類があって、お釈迦さんが説法しているスタイルと、誰かがお釈迦さんに代わって他に話しかける形があるみたいやけど、有名な般若心経は後者の話しかけるスタイル。
観音さんが、シャーリープトラっていう弟子に話しかけてます。
ぶっせつまーかーはんにやーはらーみーたーしんぎょう~
のあと、
かんじーざいぼーさー
↑これ観音さんのこと。
観音さんはいいました。
舎利子(しゃーりーしー)って、フレーズ結構でてきますよね?あれがシャーリープトラのことで、
あんな、シャーリープトラ、これはこうでこうやねん。
っていってるかたち。
般若心経もちょっとずつ意味わかったらすごい面白いですよ!
般若心経はもうすでに世にいっぱい解説でてますが、いずれわたしなりの解説もできたら良いなとうっすら企んでおります。
自分なりに理解して、自分の言葉で伝えるって大事だと思うんですよね。有り難さは半減すると思うけど。
お経の有り難さは、お釈迦さんの直接の言葉に近いものだから意味がわからなくても有り難いんだと思うんです。
例えばさ、岡本太郎さん本人の名言
「芸術は爆発だ!」
あれそのままやからおお!ってなるんやとおもうんです。
あれをさ、解釈した一般人に、
「芸術ってな、なんかドッカーンってかんじらしい」
みたいに伝えられても
へー。ってかんじやん。
それと一緒やと思うんですよ。なんか感動が薄れるというか。だから長年形変わらず伝えられてきたんやと思うんですよね。
そう思うと原本のまま残ってるから有り難い気がしますよね。
だからまあ、意味を知ることももちろん良いことやと思いますが、そのままのお経を唱えることもすごい意味があるし、価値のあることだと思えますよね。
こんな何千年もたってもお釈迦さんの直接の言葉が残されてるんやから。
先人たちの努力によって守られたそのお経に触れられるって有り難いことですよね。なるほど、その存在自体に敬意をもてばいいのか。って思えてきますね。