知識の価値が下がる世の中で親としての必要な子育てとは?を考えてみた
こんにちは。
「知識は不要」
「知識の価値はない」そんなことがあちこちで叫ばれている
社会で、親としてどんな教育をしてあげるといいのか?
それは、私の個人的な興味・関心でもあり
親としての立場としての関心でもあります。
(「ググる」という言葉も、もうもはやなんか時代遅れ感がありますね)
また、変化の激しい世の中で、
このスキルを習得すれば「絶対大丈夫」
そんな武器なども存在しない。
唯一あるとするとすれば、それは
「自分の頭で考え・自分の人生をデザインする力」
なのかもしれない。
自分の育ってきた環境を考えてみた。
うちの両親は学歴とは程遠い人生を送ってきた二人だ。
父親は、大家族の長男でおそらく高校もまともに行けず、
母親も高校(洋裁学校?)卒だ。
家庭の中で、勉強をしなさい!や
勉強を横に座ってみる
サポートするなどは一切なし。
(こういうのって、昔の親はしていなかった?)
だけど、「教育は大切」そんな思いだけはもっており
私を含めた三人の子供には
それぞれに、それなりの最高の教育環境を
サポートしてくれた。
で、そんな認知能力的な教育は
家庭の中ではなかったけれど
そんなうちの両親にあったことはなにかな?
と考えた時に、
「生きる哲学」だったり
「仕事の哲学」をシェアしてもらえることだったり
よい意味での「放置」だったように思います。
親は協力するけど、そんな分からないから
子供は自分で考えてやるしかない。
当時はそんなこと思っていなかったですが
無意識的に、そんな状況が作り出されていた
のかもしれない。
とそう思うと、親が躍起になって
色々とお膳立てして
「こう感じて!」
「こう興味もって!」
そんなことはエゴであり
子供から「考える力」を奪うものになるのかもしれない。
うちは自営業家庭でして、
自営業家庭は、生活と仕事の結びつきが
よくも悪くも濃く
生活の中に「仕事や・仕事論」的な話って
結構日常にされていたなと思うのです。
そして自営業者にとって
「仕事論」って「生きる」ことと
イコールだったりすんです。
(特にうちの場合は…)
なので、もしかしたら
私たち親は、どんな哲学をもって生きているのか
仕事をしているのか、
まだ子供がしっかり理解できても、できなくとも、
ちょっとした種まきをしながら
自ら、みてもらいながら、
感じながら、
自分で考えてもらえればいいのかも
なんて思います。
とはいっても…..それが難しくて
ついつい、目の前のやるべきことをやってもらうことに
まだまだエネルギーを使っているんですが….(笑)