32 串かつ屋のブラックホール
関東で串かつといえば、それは豚肉とネギを交互に串に刺してパン粉をまぶして揚げたもののことをいう。一方、関西(というより大阪)では、豚肉、ジャガイモ、ししとう、鱧、うずらの玉子などといった具材を、それぞれ単体で串に刺して揚げたものになる。似てるけど微妙に違うのだ。
関東と大阪の串かつは長いこと別物として棲み分けがなされてきたが、いつからか大阪スタイルの串かつ屋が関東にも進出してくるようになった。関東人のぼくでさえも、串かつは大阪風の方がいろんな味が楽しめてうれしいと感じるので、この流れは大歓迎だ。
ところで、いわゆる大阪風の串かつ屋に行くと、謎の呪文が書かれた貼り紙が目に飛び込んでくる。「ソースは二度づけ禁止」というやつだ。常々ぼくはこの警句にスッキリしないものを感じていた。
なんのためにそんな貼り紙があるのかといえば、そりゃ衛生のためだろう。揚げたてのかつを手に取り、ソース壺にちょんちょんと浸してガブリとやる。あれ? ちょっとソースが足りなかったかな? と、かじりかけの串かつを再びソース壺に突っ込む……というのは衛生的に考えてアウトな行為だ。
これが自分のためだけのソース壺なら気にすることはない。けれど、個別に提供するのはコストがかかるので、大阪風の串かつ屋ではほとんど例外なく、ソースは数人の客で共用するようになっている。だから、衛生管理が重要になってくるわけだ。
もし、1回ソースをつけて、なんだか物足りない気がしたらどうするか。その場合は、かじりかけの串かつをいったん取り皿に置き、フリーキャベツでソースをすくってかけるといい。そう指導している店も多い。
さあ、これで衛生の問題は解消された! ……と思ったら大間違いだ。
だって想像してごらん(ジョン・レノン)。串かつ屋のカウンターにソース壺が置いてあって、フタがパカーッと開いてるわけよ? その前でお客さんたちがワイワイガヤガヤお喋りしながら串かつを食べてるんだ。唾が飛ぶでしょう。タバコの灰だって舞うでしょう。ちっとも衛生的じゃないよ。
ま、生まれてこのかた歯なんか磨いたことねえ、というようなおっさんのカジりかけを突っ込まれないだけマシかもしれないが。
客同士の会話がもたらす唾液も、紫の煙を生じた灰も、串かつ屋のソース壺はすべてを飲み込む。一日の仕事で流した汗も、別れた女を想って流す涙も、みんな溶け込んでいる。串かつ屋のソース壺。それはまるでブラックホールのようだ。