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44 名店酒風景シリーズ その3「琴ヶ瀬茶屋」

そこもまた“川原の茶屋”というやつだった。

酒友5号のパリッコくんが見つけてきたのか、さらにその友達が見つけてきたのだったか、記憶は定かでないが、とにかくいい酒場を求めるぼくらのネットワークに、その情報は飛び込んできた。

いま現在、日本列島に川原の茶屋がどれほど現存しているのかわからないが、その場所は明らかに他とは違っていた。なにしろ、店へのアクセスが「川を渡っていかなければならない」のだ。

川原なんだから当たり前だ、と言うなかれ。橋を渡って店まで行くのではなく、対岸からボートを漕いで店まで行くのだ。手漕ぎボートを、客が、自分たちの手で。ボートが漕げない人は、たどり着けない。いや、橋を渡ってから川沿いの道を延々と歩いていけば地続きで行くことも可能なのだが、それじゃあおもしろくない。ボートで行く、という愉快な手段があるのなら、ボートで行くでしょ、普通。

2015年の夏のある日。酒友2号のモ氏の他に、酒漫画で有名なラズウェル細木氏と、そのご友人の廣瀬氏、現地で落ち合ったスズキナオ氏の総勢5人で、京都嵐山の駅に降り立った。そこから桂川へ向かって歩くこと数分。唐突にそれは現れた。二艘のボートである。これに2人と3人とで分乗して、桂川を横断する。

この感じはなんだ。

夏の日差しは暑く、こめかみから首筋に汗がしたたり落ちる。だが、川面を流れる冷たい風が、ひとたび上がりかけた体温を下げてくれる。さすがに漕ぎ手(巨匠のラズ氏)は汗が止まらない様子だが、向かいに座っているだけのお大臣なぼくは快適、快適。

これまでずいぶんといろいろなシチュエーションで酒を飲んできたが、ボートで酒のあるところを目指すのは初めてだ。

桂川は淀川水系の一級河川だが、川幅はそれほど広いわけもでなく、素人の操船でもほんの数分で対岸に着く。

着いたところには、いかにも川原の茶屋という雰囲気の店が建っていた。いや、これを「建っている」と表現していいのだろうか。立っているというよりも「へばりついている」と表現するほうが正確だ。台風のときには川が増水して、店はズッポリ水没してしまうということだから、店なのかどうかも疑わしい。

その名を「琴ヶ瀬茶屋」という。縁台のような席にようやく腰を落ち着けた我々は、まずはビールを注文する。山からの湧き水で冷やされたビールは、冷蔵庫の電力で冷やされたそれよりも数段うまい。もちろん気のせいなのだが、酔っぱらいの快楽はだいたいが気のせいによって成り立っている。

おでん、イカ焼きなど、つまみはどれもありきたりなものだが、それがうれしい。川原の風を浴びているだけで十分に気持ちいいのだが、そこに酒とつまみが加わると、快楽は倍増される。次はどのつまみを頼もうか。あれか、これか、と迷っていると、ツイッターを通じて京都在住のミュージシャン、福間創氏が「そうめんを頼め!」と教えてくれた。

普段、ぼくは旅先で人のアドバイスなど無視するのだが、このときばかりはいい予感がした。「この情報は当たりの匂いがする……」と。

いや、うまかったなあ。このそうめんは、これまで食べてきたどんなそうめんよりもうまかった。ある人は「そうめんは水を食べるもの」だと言った。なるほど、いまはその言葉の意味がよくわかる。どこまでも清らかな水で引締められた麺を箸でたぐり寄せると、器に張られた水も一緒に引き上げられてくる。その水がうまい。

そうめんは水を食べるもの……。うん、いいな。今後も積極的に使っていきたいフレーズだ。「おでんはカラシを食うものですよ」「鰻は串を味わうものですよ」。応用はいくらでも利きそうだ。今度、ドーナツが好物の友人に会ったら「ドーナツは穴を食べるものですよ」と言ってみよう。


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