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59 ポテトサラダの責任感

 マグマ舌ということは、冷たい料理が苦手。そのことはこれまでに何度も書いてきた。例外的にざるそばや冷やし中華なんかを好んで食べるということも書いてきた。
 しかし、あとふたつ例外があるのを忘れていた。そのうちのひとつが「ポテトサラダ」である。酒場的略称で言うなら「ポテサラ」。

 作り方は簡単。蒸(ふか)したジャガイモをマッシュして、塩胡椒して、刻んだ野菜類とマヨネーズと混ぜ合わせるだけ。
 作る際のコツといえば、「ジャガイモは皮付きのまま茹でる(旨みを流出させないため)」と「熱いうちにマッシュする(ホクホク感を保つため)」と「マヨネーズは粗熱がとれてから入れる(分離させないため)」の3点だ。これさえ守ればまず失敗しない。
 野菜類はスライスしたキュウリ、同じくニンジン、タマネギあたりが定番だろうか。しかし、あくまでも主役はジャガイモ。たしかにジャガイモだって野菜の仲間ではあるが、それをもって「サラダ」と呼んでしまうのは、あまりにもジャガイモに責任を負わせ過ぎのような気がする。キュウリ、ニンジン、タマネギの存在はジャガイモ氏にサラダを名乗らせるための方便なのだろう。

 家でポテサラを作っていると、そんなめんどくさいことばかり考えてしまう。やはりポテサラは酒場のつまみとして食べるに限る。季節を問わず一年中あるし、値段も安い。それでいて、ちびちびつまめるので長持ちする。
 また、店によって構成が違っているのもポテサラのおもしろいところだ。
 具材として「野菜類(キュウリ、ニンジン、タマネギ)」と書いたが、もうひとつ忘れてはいけないのが「ハム」で、野菜だけで構成されているポテサラに、ハムがほんの少しの“肉感”をアップしてくれる。このささやかな満足感が重要なのだ。
 ハムは、やはり刻んだものが混ぜ込まれていることが多いが、以前とある酒場で頼んだポテサラでは、フルーツパフェのウエハースのように、あるいは家系ラーメンの海苔のように、扇状に添えられていて笑ってしまった。これ、どうやって食えばいいのか。ひとつまみしたポテサラをハムで巻いて食えと言うのか。まあ好きに食えばいんだけど。

 たびたび酒場に行ってる人なら、一度くらいは「自分で作るポテトサラダ」と出会ったことがあるかもしれない。「自分で作る」といっても自宅での話ではない。居酒屋で「自分で作る」のだ。
 たとえばある有名な串カツのチェーン店では、ポテトサラダを頼むと小ぶりのすり鉢に蒸したジャガイモとゆで玉子、レタス、ベーコン、マヨネーズが入っており、ご丁寧にすりこぎもついてくる。このすりこぎで潰してポテサラを作れというわけだ。自分で!
 たしかにセルフでのポテサラ作りに利点がないわけでもない。芋の潰し加減、塩胡椒の按配など、お好みの味付けにできることを喜ぶ人は多いだろう。でも、本来そこは店が負担するべき労力の部分だ。それを「あなた好みにカスタマイズ」と見せかけのポジティブ志向にすり替えていることに、ぼくは釈然としないものを感じてしまうのだ。
 上手にできたらお客様の手柄。だけど失敗してもお客様の責任。ポテトサラダの責任というものはどこにあるのか。

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