43 ただ酩酊あるのみ
ぼくの友人には、日本酒評論家がいる。ワイン雑誌の編集者もいる。老舗の酒蔵を継いだ社長もいる。バーやスナックの経営者もたくさんいる。酒、あるいは酒を飲むことを生業としている人たちが、ぼくの周りにはたくさんいる。今回は、そんな友人たちを怒らせるようなことを、書いてみようかと思う。
普段、ぼくがもっとも好んで飲むのは焼酎(酎ハイもしくはホッピー)だが、暑い日にはビールも飲むし、うまい魚があるのなら、日本酒も飲む。心がブルースを求めている夜はウィスキーをあおる。原稿を書いていて気分が乗ったらワインを開けることもある。ようするに、酒ならなんだって飲むわけだが、それらの銘柄に対するこだわりみたいなものは、ぼくの場合、これっぽっちもない。
酒なんて、酔えりゃいいんだ!
このエッセイも、かれこれ40回を越えるほど書き続けてきたわけで、酒にこだわりがあるからこそ、それだけ酒に関する何事かを書いて来れたのではないのか? と言われてしまうかもしれない。
だが、よく読み返してほしい。
ぼくはどんな場所で、どんな温度で、どんな肴で、どんな相手と酒を飲むのか、そういったシチュエーションにこだわっているだけであって、酒の味や銘柄については、ほとんど何も語っていないはずだ。
居酒屋行くでしょ。とりあえずビールね、って頼むでしょ。すると店員さんが言うわけよ。
「ビールは生と瓶とございますが?」
おれが生ビールを飲むような人間に見えるか、なんて言っても通じるはずがないので、冷静に「大瓶で」と答える。そうすると、さらにまた店員さんが言うわけよ。
「キリン、アサヒ、サッポロとございますが?」
いちいちうるせえなあ。そういうときはこうだ。「冷蔵庫開けていちばん手前に入ってるのを持ってこい!」と。いや、実際にはそんなこと言ったりはしないけど、心ではそう思ってる。
席に着く、ひと言「ビール」。店員さんシュポンと栓を抜く。テーブルにビールがドン! グラスがタン! どうだい、このリズム。なぜ、これができないかなあ。もちろん、できない理由はわかっている。「ビールは何があるの?」と訊ねる客がいるからだ。「赤星ないのか~」なんて言う客がいるからだ。
日本酒となると、いっそう手に負えなくなる。なにしろ本醸造酒に純米酒があり、そのなかでも特別本醸造だの純米大吟醸だの、いろいろ細かく分類されている。さらに、日本全国の蔵元が工夫を凝らした有名銘柄が無数に存在する。飲むための温度だって人それぞれだ。
多様性があるのは豊かなことだが、そんなに細分化されていたって、貧乏舌のぼくには違いなんてわかりゃしない。
居酒屋だって大変だろう。品揃えがよくなければ客は来てくれないから、各地の名酒をたくさん用意しておくことになる。なかには冷蔵庫で冷しておかないとならない酒もあるわけで、そのために大型冷蔵庫を導入して……と、どんどん経費がかさんでいく。
一級酒、二級酒と呼んでいた時代。飲み方はヒヤ(常温)とカン(ぬる燗)しかなかった時代。過ぎ去った過去を懐かしむのは、あんまり格好いいことではないのはわかっている。それでもなお、酒を味わうのではなく、ただ、酔うために酒場を求めるぼくのような人間には、いまの時代は少しだけ生きにくい。