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27 しめサバを克服した日

うちの両親は福島から上京してきて東京に住み着いた。そのためか、ぼくが子供の頃は家での食事といったら、大根だのタケノコだのを煮たものであるとか、アジの干物やイワシの煮魚、それにタクワン漬けといった、田舎料理がほとんどだった。

そういう食生活が本当に苦痛だった。たとえ親は福島出身でも、ぼく自身は東京で生まれ育った現代っ子だから、スパゲッティとかハンバーグとかグラタンとか、そういうレストランのショーウィンドウに並んでるようなもんが食べたいわけよ。

でも、そんな願い虚しく、食卓には毎日のように田舎料理や魚料理が並ぶ。どうしても箸が伸びない。おかげでぼくは食が細くなった。いまでもそれは変わらない。好き嫌いはそれほどない方だとは思うが、子供時代のトラウマで魚だけは好きになれなかった。

やがて大人になり酒を飲むようになっても、唐揚げやウインナー炒めをつまみに取ることが多いのは、そんな子供時代の食への渇望が、未だ拭いきれないからだろう。日本酒を飲むときも、アテに刺身をチョイスすることは滅多になかった。居酒屋で魚を頼むとしたら、シシャモかホッケがせいぜい。寿司屋に行っても、サバ、アジ、コハダなんて青魚は食べられなかった。

ところが。

30代も後半に差し掛かったくらいのときだったろうか。仕事帰りに中野の北口飲食街に寄って、Tという小料理屋の暖簾をくぐった。そこは新鮮なもつ焼きが自慢の店だそうで、ネットで調べてアタリをつけておいたのだ。

カウンターに座ってチューハイを頼む。おしぼりで顔を拭きながらメニューを見て、何を頼むか考える。すると、目の前に小皿が置かれた。お通しである。これを見てギョッとしてしまった。そこには、しめサバが3切れ盛られていたからだ。

その頃のぼくは、青魚が食べられないのはもちろんのこと、酸っぱいものも大の苦手だったから、酢でしめたサバなんてほとんど罰ゲームをさせられているようなものだ。これを食うのか? このぼくが? 勘弁してくれ……。

しかし、いい歳をしたオヤジが一人で酒場にやって来て、「ぼく、しめサバ食べられないんです」とは言えない。そんなカッコわるいことはできっこない。だから意を決して食べましたよ。鼻をつまみこそしなかったけれど、意思の力で心を無にして噛み、そして飲み込んだ。

あれ? と思った。意外に食えるもんだな。ていうか、むしろ美味。酢の加減が程よくて、ちっとも酸っぱいとは感じない。サバもきっと新鮮なものを選んでいるのだろう、身がしっかりしていて生臭さはまったくない。

あっという間に食べてしまった。その後に注文したもつ焼きも当然のようにうまかったし、いつもは頼まないシイタケの串焼きなんかも、驚くほどうまくておかわりしてしまったぐらいだ。ようするに、その店はもつ焼きの名店というだけでなく、どの食材もちゃんといいものを選び抜いて、適切な方法で調理してくれる良店だったのだ。

その日から一転して、ぼくは魚が大好物になった。ゲンキンなもんだね。しめサバという自分にとっての好き嫌いの最難関をあっさり突破できたことで、他の魚のハードルも極端に下がってしまったというわけだ。

かつて、ベースボールカード集めを通じて野球ファンになったことがある。そして、ひとたび野球というゲームの魅力に開眼すると、目の前に水島新司マンガという娯楽の宝の山があることに気づいた。これまではスルーしていたのに、野球に興味をもってみると『ドカベン』でも『あぶさん』でも『野球狂の詩』でも、名作がザクザク待ち構えているのだ。

そのとき、世界が一気に広がるのを感じた。

そして、食べ物もまた同じなのだ。苦手なものをひとつ克服すると、新しい楽しみがパーッと広がる。たとえば「焼酎は苦手」という人も、試しにいろいろな銘柄のものを飲んでみるといい。それで気に入った味のものがあれば、そこから世界が広がる。いろんな焼酎を飲み比べていくうちに、焼酎への苦手意識はいつの間にか消えているだろう。

……と、もっともらしいことを言っても、酎ハイを偏愛するあまりレモサワーを憎んでるようなぼくが言ったのでは説得力もゼロかな。

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とみさわ昭仁
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