38 駅弁トレーディングカード
これまでいくつもの媒体で書いてきたし、この一連のエッセイシリーズでも何度か取り上げているのでご存知の人も多いだろう、毎年、新年一月の上旬に新宿の京王百貨店では、元祖有名駅弁と全国うまいもの大会、通称「駅弁大会」というイベントが開かれている。ぼくはこの駅弁大会が好きで、開催期間中は毎日のように通い詰めていた。
そして、もうひとつ、皆さんがご存知のことがある。そう、ぼくはマグマ舌人間なのである。
熱い汁、熱い料理が好きで好きでたまらないぼくにとって、駅弁というのはなまぬるいを通り越して、冷え切ったごはんであるから、そんなものを食べたいと思うわけがない。なのに、なぜ駅弁大会になど通い詰めるのか?
いや、いちおう自分のキャラ付けとして、少し極端に「熱いものこそ至高!」と言っているきらいはあって、実際のところは温度関係なしに美味しいと思うものはある。ざるそばだって、寿司だって食べるし、夏になれば冷やし中華も食べる。熱々のラーメンを美味いと思う気持ちと、真夏に冷やし中華を欲する気持ちは両立できるのだ。
でも、駅弁はなー。駅弁というのは、ぼくにとっては「ただの冷めたお弁当」だ。
横川の「峠の釜めし」も、山形の「牛肉どまん中」も、高崎の「だるま弁当」も、駅弁として販売されている以上は、冷えた状態で食べてもちゃんと美味しくなるように調理されているはずだ。それは疑いようがない。だけど、もしこれらの駅弁を出来たて熱々の状態で食べることができたら、それは通常、我々が食べることのできる冷めたものより、何十倍も何百倍も美味しいのではないか──。
そんな思いがあるので、駅弁を食べていてもイマイチ盛り上がれない自分がいるのである。
最初のうちこそ、駅弁大会特有の熱気に当てられて、毎日のように会場へ足を運び、ときには目についた弁当を買い、百貨店の屋上で食べたり、仕事場へ持ち帰って昼飯に食べたりしていた。しかし、本音を言えば1000円、下手すれば2000円近いようなお金を払ってわざわざ冷たい弁当を食うくらいなら、たったの300円で食える熱々の立ち食いそばの方が幸せだなあと思ってしまう。それで、いつしかぼくは駅弁大会に行っても会場をぐるりと見て回るだけで、弁当は買わなくなってしまった。
買わないなら行かなきゃいいじゃん、と思われるかもしれないが、駅弁大会そのものは変わらず好きなのだ。そして「駅弁」というアイテムも好きなのだ。中身を食べたいと思わないだけで。
だからぼくは度々言ってるのだが、駅弁大会の各ブースでは、駅弁そのものとは別に「中身の入っていない駅弁」をひとつ200円とかで売っていたら、ぼくは買ってしまうような気がする。
いや、さすがにそれは正気の沙汰でないことくらいは、ぼくもわかっている。実現の可能性は限りなくゼロだろう。でも、トレカならどうだろうか?
1パック6枚入り500円とかで、駅弁のトレカがランダム封入されている。カードの表面は掛け紙の写真で、裏面には中身の写真が印刷されている。駅弁大会の会場で売られる駅弁はおよそ350種類以上だというから、カードの総数もそれと同じになる。トレカをコンプリートするためのゲームバランスとしても悪くない。それに、「同じ規格でありながらバリエーションが豊富」というのは、コレクターを産む条件のひとつである。その条件に駅弁大会はピタリとはまる。まず「駅弁」という「規格」が大前提としてあって、その中に日本全国各地の様々な駅弁が「バリエーション」として存在する。そのバリエーションは地域性かもしれないし、材料かもしれないし、掛け紙かもしれない。
自分の出身県の弁当(のカード)を集めるのもいいだろう、カニの弁当ばかりを集めるのもいいだろう、フルコンプを目指すのもいいだろう。いろいろな集め方ができるのもトレカのいいところだ。
会場で、人気の駅弁を買うために並んでいるときも、列の前後の人たちとカードの交換をすれば、待ち時間も退屈ではなくなる。
「牛肉どまんなかがダブってるんですけど、鯨カツ弁当と交換してくれませんか?」
「森のいかめしって、カードでも2個バージョンと3個バージョンがあるの知ってました?」
そんな会話があちこちで繰り広げられるのだ。
かつてジッポーライターを集めていたとき、ジッポーのトレカが発売されたことがある。ぼくは嬉々として集めたのだが、コレクター仲間から不評だった。駅弁トレカもいいアイデアだと思うのだが、駅弁仲間からはまた狂人扱いされるのだろうか……。