33 食べないつまみ
つまみを食わない酔っぱらいがいる。酒友1号、キンちゃんである。
ぼくはかなりの頻度でこの男とサシで飲んでいるが、キンちゃんは滅多なことではつまみを食わない。つまみを注文しないのではない。注文はするが、箸をつけないのである。ただひたすら酒だけを飲む。奴はなんなのか。
ある日のこと。上野の立ち飲み屋で、昼から二人で飲んでいたと思いねえ。奴は黒ホッピーを、ぼくは白ホッピーを頼んだ。
そもそも立ち飲み屋ってのは、文字通り立ったまんま酒を飲むところだから、そんなにあれこれつまみをたくさん頼んだりはしない。それでも、ぼくは鳥串の塩焼きを、キンちゃんは鶏手羽のニンニク煮を頼んだ。どちらもたかだか200円程度のささやかなつまみだ。
お互いの注文したつまみが出てきたときに、時計を見るとちょうど12時(そんな昼から飲んでてスマン!)だった。ぼくはこの酒が昼メシがわりでもあるので、それなりに腹も減っている。焼き鳥が来たらすぐに串を手にとり、パクリといく。うまいなー。タレもいいけど、やっぱり塩が好きだなー。
なんてことを思っていると、キンちゃんは店員さんをつかまえて「山椒ちょうだい」などと言っている。奴の注文した鶏手羽のニンニク煮は、鶏の手羽元をニンニク入りの甘辛いタレで煮込んだものだ。それが小鉢に2つ入って200円。いかにも立ち飲み屋らしいリーズナブルなおつまみだ。そこにパラ、パラ、パラと山椒の粉を振りかける。なるほど、このつまみに山椒の風味はよく合うだろう。
珍しく食う気満々な行動に、ぼくは意外な気持ちで見ていたのだが、キンちゃんはとりあえず山椒を振りかけただけで、まだ箸をつける様子は見せない。
それからおよそ30分。昭和のスーパーカーの話なんかを肴にして、ぼくらは飲み続けた。もちろん、ぼくは目の前にある焼き鳥を平らげ、続いてマカロニサラダなんかを頼んでいる。だが、キンちゃんは最初の鶏手羽ニンニク煮をテーブルに置いたまま、一度も箸をつけていない。
いくらなんでも長過ぎる。そこでぼくは、こんなことを言ってみた。
「キンちゃんって、ホント酒を飲んでるとき、つまみ食べないよね」
人がどんなスタイルで酒を飲もうが、それは自由であり、あれこれ口を挟まないのがぼくらの暗黙のルールだとは思う。だけど、さすがにこのときばかりは気になった。するとどうだ、奴はこんなことを言ってきたのだ。
「こうして放っとくとね、つまみの方から『そろそろ食ってくれ』って言ってくるんですよ」
何を言ってるのか。落語じゃないんだから、とっとと食べなさいよ。
長いこと放置しておくと乾いてしまうので、キンちゃんはときどきそのつまみを箸でつまんでひっくり返したりするのだが、それでも食わない。曰く、つまみがまだ「食ってくれ」と言ってこないからなのだろう。
ぼくはいろんな酔っぱらいを見てきたが、さすがに彼のような人間は他で見たことがない。
結局、奴が鶏手羽ニンニク煮にかぶりついたのは、注文してから50分後だった。山椒の風味もへったくれも消え失せているが、そんなこと奴はおかまいなしだ。
いっそのこと、スマホでつまみの写真を撮っておいて、次回からはその写真を見ながら飲めばいいんじゃないだろうか。