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45 寿司屋のタイムサービスの大トロ

 以前、友人たちと飲んでいて、「寿司の〆(シメ)には何を頼む?」という話題になった。
「真鯛でさっぱりとシメたい」
「おれは断然コハダ」
「初心に帰ってマグロかな」
「シメない。ガリをひと切れ口に放り込んでおしまい」
「味噌汁を一杯もらう」
 などなど、友人たちは思い思いの〆を答える。おそらく寿司好きが100人いれば、100通りの〆があるのだろう。
 そのとき、ぼくがなんと答えたか正確には覚えていないが、当時はよく「納豆巻き」を最後に食べていた気がする。マグロ、真鯛、アジ、イカ、ホッキ貝、コハダ……といった魚介類のネタをひと通り食べたあと、最後におよそ寿司らしくないもの、普通の朝ごはんにもっとも近いものである納豆巻きを食べることで、自分の気持ちを晴れの食事である寿司から日常へ引き戻すのだ。

 ところが、5年ほど前から自分の中のそうした感覚に変化が現れてきた。いまは寿司の〆には「鉄火巻き」を頼むことが多くなったのだ。
 以前は寿司ネタのローテーションの中に鉄火巻きも配置していたが、〆で鉄火巻きを食べたいと思うようになってからは、意図的にローテーションからは外すようになった。先に鉄火巻きを食べてしまうと、〆感が薄まってしまうからだ。
 なぜ鉄火巻きで〆たくなったのかは、わからない。あえて言えば老化だろうか。

 老化といえば、そもそもレギュラーの寿司セレクトも変わってきた。先ほど挙げた「マグロ、真鯛、アジ、イカ、ホッキ貝、コハダ」どれもさっぱりしてますね。
 若い頃はマグロも中トロだったし、エンガワやサーモンも大好きだった。どれも脂っこい。胃にもたれる。そんなものを食ったあとだから、〆が納豆巻きでもよかったのだろう。
 でも、あっさりしたネタばかり選ぶようになったいまは、鉄火巻きの地味なうまさが好もしい。

 ……と、ここまでのことをまるでちょっといい寿司屋のカウンターで語っているように思われたかもしれませんが、ぼくが座っているのは回転寿司の丸椅子であります。回転寿司と言ったって、いまは下手な寿司屋よりおいしい店もあるから、そうそうバカにしたもんじゃない。おまけに安いんだから言うことない。

 回転寿司といえば、その昔、下北沢に「天下寿司」という店があった。会社の昼休みに同僚と連れ立って行くことも多かったし、ぼくが住んでいたアパートからも近かったので、休日にもよく一人で食べに行った。
 ここが、ほとんどの皿が120円均一という当時にしても安い部類の店だったのだけれど、どれを食べてもちゃんとおいしかった。だからいつも客で賑わっていた。
 人気の秘密はもうひとつあって、定期的なタイムサービスが始まると、ザコ寿司と同じ120円で大トロを握ってもらえるのだ。当時はぼくも若かったから、タイムサービスが始まると一皿だけ大トロを注文していた。
 ところがですよ。このタイムサービスだけを狙ってくる客がいるのだ。それもけっこうな割合で。
 そういう客は、入店してもまだタイムサービスをやっていなければ、あまり寿司を食べずにガリとお茶だけで時間潰しをして、タイムサービスが始まった途端、大トロばかりを注文する。

「えーと、大トロください」
「こっちは大トロ2枚」
「アジと……大トロを3枚!」
「大トロちょうだーい!」

 あちこちから飛び交う声。どいつもこいつも大トロに取り憑かれてる。
 そもそもぼくは、回転寿司はレーンに流れてくる寿司の中から好みのものを選ぶモノだと思っていて、板さんに声注文するのはあまり好きじゃない(近頃は衛生面の問題や迷惑系ユーチューバー避けの意味もあってレーンに寿司を流さない店が増えている。嘆かわしいことである)。そんな自分だから、平然と声注文をし、それがことごとくタイムサービス品だったりする状況は、非常にムズムズする。
 店が積極的にそういうサービスをやっているわけだし、お一人様何皿まで、なんてルールがあるわけじゃないのだから、誰がどれだけ頼もうと自由。それはわかってる。でも、ぼくにはそういう行為がどうしても意地汚いように感じられてしまうのだ。

 本来、一皿400円とかする大トロを120円という破格で提供するのは、店からお客様へ向けての「サービス」だ。誰でもサービスを受ける権利はある。だけど、そのサービスの上澄みだけをすくってしまうのは、ぼくは受け入れ難い。
 人間の心の中にある「お得な部分だけを享受したい」という感情は、前回のエッセイで取り上げた「こぼれるイクラ」とも同じ種類のものだ。人間のそうした欲望に応えるために生まれたものは、人間の醜さも同時に見せつけられるようで、どうにも居心地が悪い。
 たかが寿司ひとつで大袈裟な。でも、そういうことって疎かにしてはいけないのではないか。タイムサービスの大トロだけを連続で注文することも、都知事選でルールの隙間を突いて掲示板をジャックすることも、実は地続きになっていると思う。

※写真提供:モギ氏

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