38 鹿児島の夜空に軍歌が鳴り響く(後編)
軍国酒場でカウンターに着くと、最初の魚雷(ビール)の一杯だけは婦人部長が酌をしてくれた。あとは手酌でやるスタイル。けっこう、けっこう。そういうのがいい。どこから来たのか? 観光か、仕事か? そうした最低限のことは尋ねられたが、それ以上の詮索はされない。入店までの敷居の高さに反して、店内に腰を据えれば思いのほか居心地がいい。
まだまだ蒸し暑い夏の夜。喉をうるおすビールは大変においしいものだが、何かつまみが欲しくなる。その辺はどうなってんの? と、店内をキョロキョロしていると、ふたたび婦人部長があらわれ、アルマイトの皿を差し出し、こう言った。
「食料の配給であります!」
皿にはいくつかの乾パンと、金平糖が盛られていた。徹底している。続けて、落花生の皿も差し出して、こう言った。
「弾薬の補給であります!」
つくづく徹底している。その後「お客さん、ゆでたまご食べるかね?」とも訊かれた。それほど腹は減っていなかったのでお断わりしてもよかったのだが、この店ではそれを何と呼ぶのかが気になるので、ありがたく頂戴することにした。ぼくの答えを受け、婦人部長はこう言った。
「手榴弾、配給~!」
なるほど。単なるゆでたまごではあるのだが、南方戦線の飢餓地獄を描いた塚本晋也の傑作『野火』なんかを見てしまうと、こんなものですら上等なご馳走に思えてくる。乾パン、金平糖、落花生、ゆでたまご。この店にあるつまみはこれで以上。酒場のメニューとしては物足りないが、ここはそういう場所なのだ。
「軍国酒場」のご主人、すなわち國防夫人部長の旦那様は、霧島市隼人町で戦史館という戦争資料館も運営している。ぼくはそちらにまでは足を運ばなかったが、いわゆる珍スポットとして有名らしい。軍国酒場がこの有り様なのだから、さもありなんだ。
「軍歌は唄いますか?」と婦人部長が訊いてきた。ぼくは唄えるほど軍歌に詳しくないし、そもそも歌がヘタなので、さすがにこれは遠慮させてもらった。すると、じゃあ、聴くだけにしましょうと、カラオケから歌唱ありの軍歌DVDにチェンジしてくれた。
聞くところによると、この店はご主人が4ヵ月かけて手作りしたのだという。雑然とした雰囲気は素人造作のなせる技なのだ。店があるのはビルの4階だが、天井を見あげると装飾品の隙間からチラリと空が見える。つまり、ここは4階建てビルの屋上にあるペントハウスのようだ。そのためにカラオケの音が盛大に漏れている。外からも軍歌が丸聴こえの秘密はこれだったのだ。
店には1時間ほど滞在しただろうか。ビールを1本飲み干し、芋焼酎(爆弾)の水割りをいただき、おまかせのおつまみ(配給)で、ジャスト3000円。この店を作りあげるまでの苦労と、おそらく世間から浴びるであろう冷たい視線を思えば、まったく良心的な金額だ。
店を後にするぼくに、婦人部長は敬礼しながら元気よく声をかけてくれた。
「1名、満期除隊!」
次に来れるのがいつになるかはわからないが、鹿児島に来たら絶対に寄りたい場所がひとつできた。
※註:軍国酒場は、ビルの老朽化により閉店。2017年4月より霧島市隼人町にて「軍国亭」と名を変え再開している。