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72 バーベキューはコミケである

 この世にバーベキューが嫌いな人なんていない! ……と言いたいところだけど、そんなことはないよねー。苦手な人もいるよねー。バーベキューなんてパリピの食いもんだから近寄らないように生きてきたのに、会社の同僚に誘われてどうしていいか困惑、万事休す、猫噛む寸前の窮鼠、バーベ窮ー!ってなっちゃう人いるよねー。
 ぼくはパリピでもなんでもないけど酒呑みだから、いかにしてうまい酒を飲むか、毎日そのシチュエーションを追求して暮らしている。その答えのひとつが「外で飲む」であり、外で飲む行為の最高峰にあたるのがバーベキューではないか? と思っているのである。

 毎年10月になると、友人が主催している赤羽岩淵緑地でのバーベキューに参加する。聞いた話では初回が1999年だから、かれこれ25年も続いていることになる。コロナ禍が始まってからの数年はお休みしていたが、今年(2024年)久しぶりに開催された。
 このバーベキューの主催者が非常に素晴らしい人物で、会場の予約から道具の準備、メニューの選定、肉を中心とした食材とドリンクの買い出し、調理までと、面倒な作業を全部やってくださる。だから参加者は手ぶらで現地へ行って、参加費(肉の規模を考えると激安)を払うだけで存分に楽しむことができる。ある意味でバーベキューの理想系だ。
 もちろん持ち込みするのも自由なので、主催が用意したものだけで満足できない人は、自分が食べたいものを好きに買ってくればいい。今年、事前に主催が発表したメニューが肉中心だったので、「魚が欲しいな」と思ったぼくは、サーモンのプランクバーベキューをやることにした。
 プランクバーベキューとは何かというと、

 1)杉や檜などの板(プランク)に好きな材料をのせる
 2)オイル、スパイス、ハーブで下味をつける
 3)それを板ごとアルミホイルで包んでひと晩寝かす
 4)焼くときはそのままバーベキューコンロに乗せて蒸し焼きにする

 というものだ。ぼくは前日の晩にでかいサーモンの塊にオリーブオイルと塩コショウ、ローズマリーをすり込んで、スライスレモンを貼り付けたものを用意しておいた。当日は、頃合いを見計らってそれをバーベキューグリルに乗せるだけ。30分も放置しておけばアルミホイルの中で板が焦げてスモーク状になり、簡単に燻製料理が出来あがるという寸法だ。味も良く、来ていた仲間にも好評で、やってよかったなあと思ったものだ。
 これを、ぼくはタダで振る舞った。このメニューに関してはぼくが勝手にやったことなので、会費とは別にお金をとることはしない。つまり赤字。でもそれでいい。こういうことを参加者が各自にやれば、バーベキューはいっそう盛り上がるし、総合的にみんながハッピーになれるはずだから。

 だけど、これまでの経験から見て、ぼくが期待しているほどには、みんな何もしない。手ぶらで来て、会費を払って、飲み食いして、帰る。それだけ。もちろん、主催者が「会費制なので手ぶらでどうぞ!」と言ってるのだから、それが間違っているということはない。でも、間違ってるわけではないけれど、寂しくはある。
 各自にそれぞれ事情はありましょう。急遽参加を決めたのでサイドメニューを考える余裕がなかった。経済的にピンチで会費以上の負担を負う余裕がなかった。子連れなので荷物を増やしたくなかった。わかります。でも、寂しくはある。
 そして何より残念なのは、ごくごく稀に「会費払って参加するだけで何か問題でも?」な態度の人がいること。

 そんなとき、ぼくはいつも思うのだ。「バーベキューはコミケである」と。
 コミケの理念は「全員が参加者である」「コミケに“お客さん”はいない」というものだそうだ。「出店者」対「来場者」という構図ではなく、来場者も出店者と同じくコミケを構成するメンバーなのだという意識を持って参加して欲しいのだと。それはいいなあと常々思っていて、そしてバーベキューもまたそうあるべきだと、ぼくは思っている。
 凝った料理を作れればそれに越したことはないけれど、それにこだわる必要はない。とはいえ、来る途中のコンビニで魚肉ソーセージ買ってこられても「はい?」となるばかり。せめてほんの少しの時間とお金を割いて、珍肉、珍魚、珍菜を持ち寄って楽しむ場。みんなが自分もバーベキューの一部だという意識を持って楽しむのが、真のバーベキューなのではないかと思うのだ。

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とみさわ昭仁
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