21 昼から角打ち
角打ちというものがある。「かどうち」ではなく「かくうち」と読む。辞書には載っていない。簡単に言ってしまえば、酒を飲ませるための酒場で飲むのではなく、酒を売るための酒屋の店先で飲むことだ。
酒場ではないから椅子やテーブルが用意されていることはなく、カウンターの隅で立ったまんま飲むことになる。非常にお行儀の悪いおこないだが、それゆえに背徳的な歓びがある。元は、早い時間に仕事を終えた職人さんが、家へ帰る前に道すがらの酒屋で軽く一杯ひっかけたのが始まりだ。
三遊亭金馬(三代目)の十八番、「居酒屋」という噺に次のような一節がある。
〈仕事帰りの労働者が、汗の滲んだ印半纏に手拭いの先へお弁当箱を結わえ付けて、肩へしっかけます。往来のお酒屋さんを通り過ぎることができませんで、生唾を飲み込んで飛び込みます。「もぎりひとつくれよ!」量り売りをもぎりと申します。枡へなみなみと注いでもらいまして、これを枡の隅からひと息にきゅ〜っと飲み干し、前歯で枡の隅をきゅっと噛むのが常識になっております。使い込んだ枡ですから、古くから染み込んでるお酒が、噛むと細かい泡ンなってじゅくじゅくと出てくるという、味わいのあるもんで──〉
すぐにでも酒屋へ駆け込みたくなる見事な情景描写である。枡の隅を噛むのは落語ならではの誇張した演出だと思うが、酒好きの気分はよく出ている。
「角打ち」という呼び方は九州地方のものらしいが、いまでは東京でも普通に使われる。東北では「もっきり」と言う。落語の「居酒屋」に出てくる「もぎり」も、これが語源だろう。
角打ちは、ただただ一刻も早く酒を飲むことが目的なので、つまみは必要としない。そもそも酒屋なのだし、つまみなど作っていられない。せいぜい、カウンターに並べた瓶の中にさきいかや塩豆などの乾きモノがあるくらいだ。様々な缶詰を置いている店もある。
江戸時代はどうだったのだろう。枡の角に波の花(塩)を乗せて、それを舐めながら飲んだという話は聞くが、他にお香香(漬け物)くらいはあったかもしれない。
いまは、気軽にこうした角打ちを楽しませるために、居酒屋でありながら、あえて角打ちスタイルで酒を提供するところも増えている。鴬谷の某コンビニでは、通りに面した窓側(通常は雑誌の書架があるところ)をカウンターに改造して、そこで店内で買った酒を飲めるようになっていた。
ぼくは2011年の震災以来、2016年までの5年ほど復興ボランティアのため盛岡へ行っていた。その際の楽しみのひとつに、鉈屋町にある細重酒店でのもっきりがあった。2〜3日間のボランティアを終えての最終日。帰りの新幹線の切符を確保したら、仲間たちとこの細重酒店へお邪魔して、時間の許すまで酒を飲むのだ。
店頭のカウンターでもいいが、奥の土間では地元のおっちゃんたちがめいめいに腰をおろして飲んでいる。そこへ混ざって飲む酒は格別の味がある。震災ではきっと皆さん酷い目に遭われたことだろうが、こうしてみんなで酒を飲んでいるあいだは、とてもいい顔をしている。
で、東京でもぼくは角打ちを楽しんでいるかというと……まず行かない。なぜなら腰痛持ちだから。立ったまま飲むのは辛いのだ。角打ちというのは、若い人や働き盛りの人のためにある文化なのだろう。