64 弁当の思い出と歌舞伎町のスケベ弁当
このところ弁当を作る機会が増えている。
昔は、弁当なんて好きではなかった。そりゃそうだ、言うまでもないが弁当というのは冷えている。マグマ舌のぼくが好んで食べるはずがない。だから、いまも弁当が好きになったわけではないのだが、娘に持たせる弁当をこさえるついでに、ぼくも外出の予定があるときは自分の分を作っている。弁当は、ひとつ作るもふたつ作るも一緒だ。
たとえ冷え切った弁当でも、何度か食べているうちに、温度のことはあまり気にならなくなってきた。最初のうちは、コンビニで買ったカップ味噌汁で熱々要素を補填していたのだが、やがてそんなことはどうでもよくなり、いまでは自販機の「あたたか~い」お茶程度で十分満足できる。
肝心の弁当の味は、まあ素人が作ったものだからたいしたことはないが、自分で作った弁当というのは不思議とうまい気がするものだ。これはなぜだろうか?
愛妻弁当だったら、そこには「妻の愛」が隠し味にあるだろうし、母ちゃんの弁当だってまともな人間なら少しは「母の愛」を感じられる。じゃあ、自作の弁当の場合は、何がうまいと感じさせるのか。自己愛? いやいやいや、さすがにそれはない。
ひとつ言えるのは、「自分で作る」ということだ。これが意外に重要であることは、自作弁当を食べるようになって気がついた。なにしろ自作弁当には「自分が食べたいと思うもの」しか入っていないからだ。
おかずのセレクトだけでなく、たとえばウインナー炒めひとつとっても、飾り包丁の入れ方、焼き加減、もしくは茹で加減など、あらゆる面に自分の好みが反映される。玉子は厚焼き玉子にするよりスクランブルエッグの方が簡単で、ごはんと一緒に食べるならその方が合うこともわかってきた。野菜が苦手な人だって、親から「栄養を摂らにゃいけんよ」と強制される野菜よりも、自分で自分の身体を慮って入れる野菜は美味しく感じられるものだ。
過去、いちばん不味かった弁当の話。
20代の頃、約4年ほど魚藍坂にある製図の会社に勤めていた。社員食堂があるような規模の会社ではなかったので、昼食は三通り、1)自宅から弁当を持ってくる、2)外食する、3)仕出しの弁当を注文する、という選択肢があった。
最初のうちは外食を選んで、会社の周辺にある飲食店を利用していた。交差点の角にあったキャベツお代わりし放題のとんかつ屋、ごく普通の町中華の肉野菜炒め定食、餃子ライス、桜田通りをはさんで白金高輪にあったウンコラーメン(熟成味噌が臭うまかったので勝手にそう呼んでいた)、どれも懐かしく思い出される。
しかし、新入社員の安月給では、そうそう毎日外食するわけにもいかない。そこで、いつしか会社の先輩たちが発注する仕出しの弁当に相乗りさせてもらうようになった。メニューは固定で選択肢はないが、なにしろ安いのが魅力だった。いまから40年以上前の物価とはいえ、一食280円で味噌汁付きというのがありがたかった。
この弁当が、びっくりするほど不味いのである。
おかずは8割~9割が安そうな魚料理。鰯の煮たのか、鯵フライか、サバの味噌煮。これらがかなりの頻度のローテーションで回ってくる。当時のぼくはまだ魚嫌いだったので、このメインディッシュは苦痛でしかなかった。
周辺に配置された副菜も、切り干し大根とか、冷め切った高野豆腐とか、いまどき庄屋だってお通しに出さねえだろうというようなラインナップ。全然、箸が進まない。肝心のごはんだって当然のように冷たくてカッチカチだ。お供えかよ!
唯一の救いが味噌汁で、これをチンチンに熱するところからぼくのマグマ舌生活が始まったのは以前も書いたが、とにかく、あの弁当だけはいまでもトラウマになっている。
過去、いちばん狂っていた弁当の話。
2012年の7月、新宿歌舞伎町に奇妙な飲食店がオープンした。いまはなき「ロボットレストラン」である。当時、様々な媒体で話題になっていたので、いまさら詳しく説明はしないが、ロボット……と呼んでいいのかよくわからない派手なメカ群と、半裸の美女たちが繰り広げるダンスを見ながら食事ができる、魔都トーキョーの猥雑さをそのまま煮詰めたようなレストランだ。
そう、レストランというだけあって、いちおうそこは飲食店。入店料の3,000円ほど(開業当時)を支払うと店内に案内され、フロアの両岸に並んだ座席に通される。
メニューというものはなく、提供されるのはお弁当だけ。ドリンクはアルコールもソフトドリンクも飲み放題だった(開業当時)。
問題はそのお弁当だ。ヘッダに上げたそのときの写真を見ると、そこらのコンビニに700円くらいで売ってそうなシロモノだが、料金のメインはダンスショーだし、アルコールも飲み放題なのだから不満はない。むしろ、後年どんどん値上げされていったことを思えば、最初の3,000円という価格設定は激安だったと言える。
ダンスショーの邪魔になるからなのか座席にテーブルはなく、椅子の肘掛けにシネコンにあるようなトレーにセットされている。店内はいたるところに電飾と鏡がセットされていてギンギラギンなのだが、このトレーすらも金ピカに塗られていて、どことなくスケベ椅子のようだった。まさに日本最大の歓楽街である歌舞伎町の夜にふさわしい弁当だった。もういちど食べたいとはまったく思わないが、忘れられない弁当のひとつである。