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67 駄バーガー

 母に「今夜はハンバーグにでもしようか?」と問いかけると、必ず「オラ、やんだ」と言う。意味は「私は、嫌です」。どうも母はハンバーグが好きではないらしいのだ。
 何かというと煮魚や焼き魚を食べたがる母ではあるが、だからといって肉が嫌いなわけではない。総入れ歯なので固い肉は避けようとしながらも、家で焼き肉をやれば進んで箸を伸ばすし、なんなら「オラの分はちょっとサシの入ったいい肉を買ってこォ」なんて贅沢なことを言ったりもする。ケンタッキーフライドチキンも大好物で、バーレルを買ってくると我先にドラム(骨付きのもも肉)を選び取ってかぶりついている。
 総入れ歯の老人にとって、ハンバーグほど食べやすい肉料理はないはずだ。ハンバーグってやつは、そもそも肉がミンチにされている。だからほとんど噛む必要がない。歯茎だけでも食える肉料理。
 思い返せば、昔はマルシンハンバーグだって、イシイのレトルトハンバーグだって食卓に登っていた。自作さえしてくれたこともある。ところが、いつの日からか家でハンバーグが出ることはなくなった。何が母をハンバーグから遠ざけさせたのか?

 あるとき、テレビでグルメ旅的な番組を見ていて、母の勘違いに気付いた。タレントらが地方を旅してご当地のうまいものを食べ歩く過程で、全国から客が集まるという超人気のハンバーガー屋を訪ねていた。タレントたちの前には、肉のパテはもちろん、トマトだ、レタスだ、チーズだ、アボカドだと、いくつもの素材が積層されて20センチくらいの高さに達したグルメハンバーガーが提供される。それを美味しそうに食べるタレントの姿を見た母は、いつもの口調で「オラ、こんなのやんだ」と顔をしかめたのだ。「こんなのどうやって食うんだべ?」とも言った。
 そう、母はハンバー「グ」が苦手なのではない。ハンバー「ガー」が苦手なのだ。「グ」ではなくて「ガー」。そして母にとってハンバーガーといえば、あくまでもマクドナルドのようなシンプルなハンバーガーだった。それが、いつの頃からか片手では持って食べられないような、困惑を強いられる食べ物になっていった。その食べにくさへの拒否感だったというわけだ。
 いまの母には、もはやハンバーグとハンバーガーの区別がついていない。だから、それが別物であることをあえて説明せず、黙ってハンバーグを出せば、なんの疑問も抱かずにうまいうまいと食べるような気がするのだ(まだ試してはいない)。

 ぼく自身、ハンバーガーは特別好きな食べ物というわけではないが、ときどき無性に食べたくなる。そんなときにチョイスするのは、やはりマクドナルドだ。モスでも、フレッシュネスでも、バーガーキングでもなく、マクドナルド。もっと言えば、マクドナルドの数あるバーガーの中でもメニューの一面には載っていないような、店員さんに聞かないとどこに書いてあるのかわからなくされている、利益率のもっとも低いであろうプレーンな「ハンバーガー」がいい。
 マクドナルドが日本に上陸したのは1971年の7月。銀座に一号店ができた。まだ10歳だったので自分一人で銀座まで遊びにいったとは考えにくく、おそらく母に連れていってもらったのだろう。
 テレビCMで見た憧れのマクドナルドに着いて、最初に感じたのは「牛臭えー!」ということだった。バーガーを味わう以前に、もう店に入った瞬間に牛肉が焼けてメイラード反応を起こすあの独特の匂いが充満していた。まだ行ったこともないのに「これはアメリカの匂いだ!」と少年時代の昭仁くんは理解した。
 いまのマクドナルドに行っても、あのときと同じ匂いはしないが、それでもあの匂いの記憶は鼻腔の奥に刻み込まれていて、決して消すことのできないウマトラ(※トラウマの逆で嬉しい衝撃が忘れられないこと)になっている。
 ハンバーガーをマニアックに追求し、全国を食べ歩いているようなハンバーガーのプロからすれば、マクドナルドのプレーンなバーガーが好きだなんて言ったら、笑われてしまうかもしれない。でも、ぼくにとってファーストフードのハンバーガーは立ち食いそばみたいなものだ。
 外出中に小腹が減ったとき食べたいのは、職人が打って茹でて冷水で〆た本蕎麦じゃない。蒸し麺をお湯にくぐらせたボソボソの立ち食いそばでいい。つゆも真っ黒で化調の効いたやつでいい。
 そしてハンバーガーも、ナイフとフォークで食べるようなグルメバーガーではなくて、肉がペラッペラで、バンズも誰かに踏んづけられたような駄バーガーこそがいいのだ。

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とみさわ昭仁
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