70 薄さと厚さのギャランティー
先週に引き続き、もう少し厚みの問題について考えてみたい。
厚焼き玉子というものがあるじゃないですか。でもあれって、ぜんぜん厚くないぞ? と思うわけです。ぼくは娘の弁当に入れるため週に2~3回は厚焼き玉子を焼いているので、それが実感としてある。
作り方を想像してみてごらんなさい。作ったことない人は、YouTubeで検索すればいくらでも製造工程の動画が出てくるのでそれを見るがよろし。
溶いた玉子液を薄く焼いてくるくると巻き、さらに玉子液を足してまた巻いて、どんどん太くしていく。これを繰り返した結果、分厚い玉子焼き、すなわち厚焼き玉子が出来上がるわけだが、それは玉子を厚く焼いたのではなく、薄く焼いた玉子を巻いて太くしただけのことだ。
つまり、世間一般で「厚焼き玉子」と呼ばれているものは、正確には「薄焼き玉子の太巻き」なのである!
まあ、どうでもいい話ですね。
四川料理のチェーン店に「揚州商人」というのがある。家のすぐ近所にも支店があり、深夜までやっているのでちょくちょく利用する。食事をしに行くというより、お酒を飲みながら本を読む、そんな使い方が多い。
飲むのは青島ビールか紹興酒。本を読みながらなので、つまみは熱いものより冷めても気にならないものがいい。とくに好きなのが「蒸し豚の冷製」だ。これがペラッペラなのよ。箸でつまんで持ち上げると、向こうが透けて見える。まあ脂身が多いからとも言えるが。
薄い食べ物を突き詰めていくと、その先には「透明料理」の世界というのがあるような気がしている。ベトナムの生春巻きってあるじゃないですか。巻かれた海老だの野菜だのが、ライスペーパー越しに透けて見えている。あの感じ。
あるいは、キャンディの中にミルワームを封じ込めたものもある。『ジュラシックパーク』で一躍有名になった「琥珀に虫が閉じ込められている」あの感じ。そもそもキャンディはだいたいが透明なんだけど。
一時期、コカコーラが「タブクリア」という名前の透明コーラを発売したことがある。炭酸飲料、なかでもサイダーなんかは元から透明なドリンクだけど、タブクリアは透明なのにコーラの味がするというところがミソだった。
いまは透明な醤油なんてものもあるらしい。プロの調理師が料理の見た目を損なわないために使うのにはいいのだろう。一般家庭で導入すると、お酢と醤油の区別がつかなくなったりするし、うちの母なんかは醤油がかかってないと思って、さらに黒い方のの醤油もドバドバかけてしまうから危険である。
厚さ薄さの話をしているのだった。
母が食パンを買ってくると、それは6枚切りであることが多い。ぼくは必ず8枚切りを買うようにしているのだが、母はなぜか6枚切りを選ぶ。なぜだろう。
我が家にあるのはオーブントースターだから、6枚切りの厚さでも問題なく焼ける。それでもぼくが6枚切りを避けるのは、単にあの分厚い食感が好きではないからだ。ハムカツ同様、ぼくにかかった薄い物好きの呪いは容易には解けない。
それとは別に、ぼくが生まれながらの少食人間だからというのも影響しているだろう。朝、食パンをトーストして食べるとき、6枚切り1枚では物足りないし、2枚では量が多すぎる。その点、8枚切りを2枚ならちょうどいい満腹感を得られる。老母は1枚、ぼくは2枚、娘は3枚も食う。
某カラオケ店の名物に食パン一斤(半斤だったかな?)を丸ごと使い、上から生クリームだかチョコレートだかをダブダブかけたようなデザートがあるが、正気の沙汰でないと思う。
コンビニで売られているハムカツサンドが好きだ。これは不思議とハムカツトライアングルみたいな愚行には陥らず、どこのコンビニで買ってもだいたい薄い。あの薄さがいいのだ。
昔懐かしい薄さのハムカツをソースに浸し、千切りキャベツと共にパンに挟んである。ちょっとマスタードが効かせてあったりもする。由緒正しいハムカツのサンドウィッチだ。
かと思えば、カツサンドもちょいちょい買う。そしてこちらはカツの分厚さが心地よい。我ながらメンドクサイ性格だと思うが、こればかりは仕方ない。
いちばんうまいと思うのは「まい泉」のカツサンドだと思っているが、そこらのコンビニで売られているカツサンドでもなんら問題はない。ハムカツサンドの在庫がなくても、カツサンドはあったりするので、そういうときはありがたく頂戴する。
「ハムカツやトンカツはソースを食べるもの」というのはさすがに言い過ぎかもしれないが、そう大きくハズレてもいないのではないか。ソースのうまさは、カツ単体にかけたときよりも、パンで挟んでそのパンにソースが染みたときの方がうまさが引き立つような気がする。
ここで満を持して「ピザ」が登場する。
かつて、日本においてピザを食べられる機会といったら、冷凍食品のピザを温め直すか、ピザを出す洋食屋に行くしかなかった。そもそも、ピザがイタリア料理だと認識されたのは、けっこう後のことではないか。
最初に日本へピザを持ち込んだのは、進駐軍の中のイタリア系アメリカ兵だったはずだ。でも、当時の日本人にとって、進駐軍なんてみんな同じに見えた。イタリア系もフランス系もイギリス系もありゃしない。ぜんぶ引っくるめて「外人さん」だ。そんな連中が持ち込んだピザは、漠然とアメリカの料理だと思われていたのではないか。それが時間を経るうちに、ピザとはイタリアのお好み焼きであることが知られていく。
やがて、バブル期に入ってデリバリーピザというものが登場し、ピザは一気に市民権を得る。それはいまも変わらず続いていて、我が家も2ヶ月に一回くらいの頻度で、有名デリバリーチェーンのピザを食卓に並べている。総入れ歯の老婆もピザだからといって拒絶することはなく、率先して口に運ぶ。
案外忘れている人も多いかもしれないが、日本におけるピザは、ある時期を境にその「厚み」の常識が変化した。昔のピザは生地部分のフチが分厚かった。
ところが、いつの間にか「クリスピー」という言葉と共に薄っぺらいピザが日本に上陸して、その方がうまい、その方が本場っぽい、という常識が形作られた。ピザが生地を食うものから、上に乗った具を食うものに変化したというわけだ。
ぼくがマニタ書房をやっていたとき、すぐ近所に神保町の有名酒場「酔の助」があった。そこの名物メニューが「ガンダーラ」という名のピザで、薄ーい生地にゴルゴンゾーラチーズを乗せただけの簡素なものだった。でも、それがすこぶるうまかったのだ。しかも、薄い生地のおかげなのか、ピザでありながら注文してからわずか5分くらいで焼き上がってくるのである。これまでにいったい何枚食べたかわからない。
酔の助は店主が芸能好きだったこともあって、ちょいちょいドラマや映画のロケにも使われていた。『逃げるは恥だが役に立つ』『闇金ウシジマくん』『ヒメアノ~ル』『舟を編む』なんかを見ていると、主人公らが仕事終わりで飲んでいる背景の壁に「ガンダーラ」のメニューが貼ってあったりして、思わず笑ってしまう。
ハムカツ以外で、薄い食い物の代表と言えるものに「紙かつ」があるのを忘れてはいけない。作り方のベースは通常のトンカツと一緒なのだが、肉をトンカチでぶっ叩いて薄くしたところに衣を付けて揚げる。本来はそれなりの厚みのあるトンカツを、あえて薄っぺらいハムカツに寄せた不思議な食い物だ。
この「叩く」もしくは「プレス」するという行為を含む調理工程は、工業高校出身であるぼくの興味を引いてやまない。パッと思いつくだけでもたこ煎餅、いか煎餅、えび煎餅などがある。
一匹丸ごとのタコを鉄板の上に乗せ、煎餅のベースとなる溶き小麦粉をかけ、上蓋の鉄板を乗せてネジ付きハンドルを回して圧力をかける。押っぺされたタコは哀れ、数分後には薄っぺらい煎餅となるのである。
こうした機械工業的な料理については、次回じっくり語ってみたい。