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78 つけそばチャレンジ

 無類の麺類好きでありながら、どうしても苦手な麺料理がひとつだけある。世間を見渡せばそれを好物だという人は多く、いくつかの有名店には連日の大行列もできているのだから、麺類の中でも人気の高いジャンルであるのは間違いない。実際、ぼくの友人にもそれのファンは何人かいる。でも、ぼくはどうしてもそれを食べる気になれない。
 それが「つけそば」というやつだ。
 店によっては「つけめん」と呼ぶところもあるし、70~80年代には「つけ麺大王」という店が大人気だったこともある。けれど、いまは名店の「丸長」グループや東池袋「大勝軒」がそう呼んでいることもあって、水で〆た中華麺を別腕のタレにつけて食べるあれは「つけそば」と呼ぶのが一般的となった。
 これまで何度も書いていることだが、マグマ舌のぼくは熱い食べ物が大好きで、麺類を食べるときもスープの温度にこだわってしまう。そりゃあ味がいいに越したことはないけれど、中途半端にうまいくらいなら、多少まずくても温度が高い方を選びたい。温度は七難を隠す。マグマ舌にとって高温は正義なのだ。
 そんな人間が、せっかく茹でた麺をわざわざ冷水で〆て、別腕に盛られた汁にチャポチャポひたすようなまわりくどい食い物を選ぶと思いますか? 選ぶわけがない。

 と、これまではそんな自分のマグマ舌っぷりを武勇伝のように語ってきたのだけど、ここでハタと考えた。我が人生、このままでいいのか、と。
 いつも昼飲みをしている酒友1号キンちゃんとの会話ネタのひとつに「未体験つぶし」というのがある。これは何かというと、これまでの人生でやり残してきたことを、老い先短いオレたちだからこそ、ひとつずつ潰していったらどうだろうか。というものだ。
 未体験といっても、スカイダイビングとか、世界一周とか、セスナの操縦とか、そんなに難しいことじゃない。もっと身近にあるのに、実はやったことがないもの。たとえば、ぼくは魚を捌いたことがない。これも鮪を解体するとか、鰻を裂くとか、そんなハードルの高いものではなくて、たとえば鯵を三枚におろすだけでもいい。いまはYouTubeがあるので、鯵のおろし方くらいは検索すればすぐに出てくる。それを見ながら魚屋で買ってきた鯵をおろしてみればいいのだ。それだけで「魚を捌く」という未体験を塗りつぶすことができる。
 あるいは、ぼくはオープンカーに乗ったことがない。だから死ぬまでにいちどは乗ってみたい。これも、そういうものをマイカーとして所有しようとなるとハードルは高いが、乗るだけなら案外簡単だ。国産で手頃なオープンカー、たとえばユーノスロードスターのカブリオレがあるマツダ系のレンタカーに行けば、1万円弱で借りられるだろう。
 で、その延長であれこれ考えていて、そういえばぼくはつけそばというものを食べてこなかったけれど、単なる食わず嫌いであることは自覚しているのだから、ダメ元でいちどくらいは食べてみたらどうだろうか? と思い至ったわけなのだ。

 そして数日前。とうとうぼくはつけそばを食べにいってきた。店名は書かずにおくが、山手線の沿線にある都内でも有数の人気店だ。
 昼飯時は外したにもかかわらず、店に着いてみると3人ほどが並んでいる。回転がいいのか5分ほどですぐに案内され、券売機で食券を買う。初めてなのでもっともシンプルな「つけそば」をチョイス。
 席について食券を渡す際、隣の人が「あつもりで」と言っていた。そうそう、つけそば界には「あつもり=熱盛り」といって、ようするに一旦は水で〆た麺をふたたびお湯にくぐらせて麺の温度を上げるスタイルがあるらしい。どうせ食べるなら、少しでも熱いほうがいいから、ぼくもすかさず「あつもりで」とお願いする。
 さて、こうして超人気店のつけそばを食べてみたわけだが、結論を先に言おう。

 全っ然っダメだった。
 まったくおいしくなかった。

 礼儀として完食はしたけれど、麺を平らげるのが苦痛で苦痛で仕方なかった。とにかくスープというか、つけだれがまったくおいしくないのだ。
 薄ら甘くて酸っぱい。この「甘酸っぱい味」というのが、ぼくは世界でいちばん苦手な味なのだ。おまけにぬるい。いくら麺をあつもりにしても、肝心のスープが出てきた段階ですでにぬるい。これじゃあ生焼け石に生ぬる水である。何が嬉しくてこんなどっちつかずなものを食わにゃならんのか──。
 ちょっと言い方が悪かった。訂正しよう。
「おいしくなかった」というのはあくまでもぼくの主観であって、店は繁盛してるのだから一般的な評価としてはかなりおいしいのだろう。それは認める。だけど、そのおいしさがぼくには理解できなかった。not for me。つけそばはぼくのためには作られていない。場違いな奴が呼ばれてもいないところへ迷い込んでしまったのだ。ぼくが自信満々の空手家だとして、道場破りのつもりで「たのもーう!」と殴り込んでみたらそこは空手道場ではなく茶道場で、茶人たちを前に「茶がぬるーい!」とか難癖つけているようなもんだ。それってハタから見ればただの変な人じゃないか。
 変な人として生きる覚悟はとっくにできている。とりあえず「つけそばを食べる」という未体験はつぶした。それでいいじゃないか。
 もしかしたら「目からウロコ! つけそばは意外にもおいしかった!」などと予想が裏切られて、地元にあるつけそばの名店「とみ田」にも通ったりするようになるのかも……と思ってはいたのだが、その必要はまったくないことがこれにて証明された。つけそばとは無縁の人生をこれからも貫いていこうと、ぼくは決意を新たにしたのだった。

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とみさわ昭仁
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