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31 三味線と酒 その1
あれは2005年のことだった。寄席で落語を聞いていたときに、ふと「三味線を習ってみようか」と思いついてしまった。
寄席では、噺家それぞれに出囃子がある。一部例外はあるが、たいていは小唄や端唄の有名曲を、それぞれの噺家が自分の出囃子として使っている。録音されたものを流す場合もあるかもしれないが、たいていは客席から見えないところにお囃子さんが控えていて、三味線や太鼓で生演奏をしている。その三味線の音色に魅せられた。
ぼくは若いときからロックが好きで、ずっとギターを弾けるようになりたいと思っていた。ロック少年なら皆そうだろう。中学時代、ステッペン・ウルフの『ワイルドで行こう』のレコードをかけながら、誰かが家に置いていったフォークギターをでたらめにジャカジャカかき鳴らしたものだ。
ギターがやりたいなら、迷わずやればいい。教則本を買ってきてもいいし、とりあえず3つのコードだけを覚えてガシャガシャやったっていい。どんな有名ギタリストだって、最初はみんなそんなもんだ。続けるうちに上手くなる。
でも、ぼくはやらなかったんだなー。ギターが弾けるようになりたいという気持ちだけを持てあまし、ずっとギターに取り組まないできた。
高校時代は、いちばんの親友がギターキッズで、学校から帰宅すると毎日練習していた。ぼくもそいつの家について行き、一緒にレコードを聴いたりしながらギターの練習を見ていた。彼は「練習を1日休むと一週間前に戻っちゃうんだよね」と言っていた。「とみちゃんもギターやりなよ。指が長いから、きっと上手くなれるよ」とも言ってくれていたけれど、ぼくはぐずぐず言い訳ばかりして、チャレンジしないまま卒業した。
旬亭に通いつめていた頃、知り合いのアドバイスでフェンダーのテレキャスターを買ってみたりもしたが(初めてのエレキ!)、結局、ほとんど弾かずに放置したまま、弦を錆びつかせてしまった。
よくバス停のベンチに広告が出ている新堀ギターとかに入学して、先生に習えばよかったのかもしれないけれど、そこまで踏み切ることもできなかった。
そして三味線である。
ギター教室への入学には気後れしていたが、三味線を習うためにどこかの邦楽教室に入ることを想像してみたら、なんだかとても楽しそうな気がした。それに、40半ば(当時)の男の特技が三味線だなんて、ギターが弾けるよりかっこいいじゃないか!
秋の宵の晩酌時、ほろ酔いついでに三味線を抱きかかえ、軽く「木遣くずし」なんかを弾いてみせる。こりゃたまらんね。まるで勝新だ。
うちの母は長いこと民謡踊りをやっていて、名取にもなっている。だから邦楽関係の知人も多い。それで、母に三味線を習ってみたいと打ち明けたところ、近所に住む端唄のお師匠さんを紹介してもらえることになった。
お師匠さん!
そうなのだ。三味線はカルチャースクール的なところで学ぶこともできるが、ちゃんとした師匠に弟子入りして教わるという道もある。むしろその方が理想的だ。
早速その師匠のところへ行き、簡単な面談をしてすぐに入門が許可された。あまりも簡単なので拍子抜けしたが、師匠も商売。一人でも弟子が増えればそれだけ月謝が増えるわけだから、なんの問題もないのだ。
月謝は月1万円。毎週決められた曜日に師匠のお宅へ顔を出して、稽古をつけてもらう。当時はゲームフリークに契約社員で復職しており、平日は帰宅が遅くなる。そのかわり、始業開始は遅めで午前11時だった。だから、お稽古は朝8時からにしてもらった。そうすれば、朝の稽古を済ませてから出社しても始業に間に合う。
午前中は三味線を弾き、午後からはコンピューターと格闘してゲームを作る。なんとサイバーな生活だろうか。
ぼくがついたお師匠さんは名前を芝杏(しばきょう)先生といい、師匠仲間からは「杏(あんず)ちゃん」と呼ばれていた。
小唄の一大流派に春日会というのがある。そこの会長が春日とよ栄芝といい、まあ事実上、小唄界の頂点と言ってもいい。この栄芝先生は春日会とは別に端唄の栄芝会というのも主催している。その栄芝会で師範を務めるうちの一人が、ぼくの師匠となった芝杏先生だ。つまり、ぼくは栄芝先生の孫弟子ということでもある。こりゃ偉い人のところへ弟子入りしたもんだ。
しかし、ぼくが端唄の師匠に弟子入りしていちばんショックを受けたのは、最初は唄の練習だけをさせられることだった。もちろん三味線など触らせてもらえない。外野でゴロを拾わされるだけの野球部の一年生みたいなもんか。
師匠曰く、端唄は唄が主役であり、三味線はその伴奏に過ぎない。そのために、まずは唄を覚えなければ弾けるようにはならないという。だから、入門してしばらくのあいだは師匠の演奏に合わせて「梅は咲いたか」や「お江戸日本橋」といった基本的な曲をひたすら唄い、覚えさせられた。こっちは三味線が引きたいがために弟子入りしたのに、苦手な唄をやらされて、もう恥ずかしいったらありゃしない。
晩酌しながら三味線を弾いたりできるのは、まだちょっと先のことになりそうなのだった。
(次回に続く)
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