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47 酒場の決定力

酒を飲み始めた頃に、いわゆる「行きつけの店」というものへの憧れがあった。一軒か二軒、そういう店を持っていることが、とても大人であるように感じられた。

行きつけの店は、遠くにあってわざわざ出掛けていくようなものではない。家の近所か、あるいは職場と家との通勤経路上にあるのが望ましい。「ちょっと酒でも飲んで帰るか」と、思い立ったら気軽に顔を出すことのできる場所だ。

無数にある酒場の中でも、とくに通いたくなる店とはどういうものか。その条件はいくつもあるだろう。酒がうまいこと、料理がうまいこと、値段が安いこと、店主と気が合うこと、居心地がいいこと、常連の仲間がいること……。

ぼく自身は酒の銘柄にはこだわらないし、値段はまあ安い方がいいに決まっているが、安いことが通う理由にはならない。常連客が店主と馴れ馴れしくしているのは好きじゃないので、店主で選ぶこともない。あえて言えば、酒場の「雰囲気」だろうか。そのことは、この連載でもことあるごとに書いてきた。

味音痴なので、酒や料理の味にもたいしたこだわりを持っていないが、好き嫌いはある。そのうえ食べ物には保守的な人間なので、一度「これうまいな!」と感じると、以後、店に来るたび同じつまみばかりを注文する傾向が、ぼくにはある。

これらは店の名物料理とも関係ない。たとえ店主が薦めようが、他の客が絶賛しようが、自分の口に合わなければ意味がない。逆に、どんなに地味なものでも、自分の舌がうまいと感じたなら、それでいい。それさえあれば他には何もなくていい。そう思えるものが一品でもあれば、その酒場に通う。そんな求心力のあるつまみを、ぼくは「酒場の決定力」と呼んでいる。

亀有の関所と呼ばれるもつ焼きの名店「江戸っ子」では、訪問するたびに必ず「だんご塩」を注文する。この店でのだんごとは、鶏つくねのことだ。もつ──豚の内臓の鮮度が自慢の店で、あえて鶏つくねを食う。それを食べるためだけに通う。でも、うまいんだからしょうがない。

北千住に行ったら、酔っぱらいの楽園「幸楽」で「ガーリックポテト」を食う。これはぼくにとっての決まりみたいなもんだ。ここは平日でも午前10時からやってるのが取り柄で、味に何か特別なこだわりがあるような店ではないのだけれど、気まぐれで注文したガーリックポテトのうまさに感動して以来、何度も北千住で途中下車させられている。

西日暮里「喜多八」の「はんぺんチーズ焼き」も大好物で、このためだけに通っている。これは小さな鉄鍋にバターを塗り、ハンペンを1枚のせて上からチーズをかけ、オーブンで焼いたものだ。ポイントは、チーズの下に隠されたひと切れのタラコ。これが実にいいアクセントになっている。

ごく最近発見して衝撃を受けたのは、渋谷「いこい」の「ぶつ爆弾」だ。メニューにだいたいの説明は書いてあったが、680円なのでマグロの山かけをちょっと賑やかにしたようなものが出てくるのだろうと思っていた。ところが、出てきてみればこの有り様だ(写真参照)。

中くらいの茶碗にマグロ、ブリ、サーモン、イカ、タコのぶつ切りがごろごろと入り、さらに納豆と山芋の千切り、薬味的にキュウリと大葉と青ネギも添えられている。これらを混ぜて焼き海苔でくるんでいただくという趣向=酒肴だ。それだけでも十分なのに、擂り下ろした山芋と卵黄まで付いてくるという贅沢さ! 味の宝石箱という言葉は、こいつのためにあるのかもしれない。

これだけあると、食べ方の自由度もグッと広がるというものだ。

前半は酎ハイ片手に魚部門を刺身のように醤油で食べ進み、中盤では納豆と山芋にからめて焼き海苔で巻いて食べる。そして、後半は日本酒に切り替え、具の残りを山芋と卵黄の小鉢にブチ込んでかき混ぜて、酒のアテにしながらチビチビと啜る。もう「最高」以外の言葉が見つからない。

こんなに優れたつまみを出すんだから、きっとこの店は他の料理だってうまいに違いない。だが、ぼくは次に行ったときも、きっと同じものしか頼まないことだろう。せっかくいいものを見つけたのに、その評価を下げるかもしれない冒険などするものか。それほど酒場の決定力は、ぼくの酒を支配しているのだ。

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