26 夏の鍋物
ぼくの酒や食べ物にまつわるエッセイには、たびたび熱いものの話が登場する。昔から汁温度が高ければ高いほど、それを「美味しい!」と感じてしまう厄介な体質なのだが、この熱い物が好きな嗜好のことを、ぼくは「マグマ舌」と呼んでいる。マグマ舌という言葉の由来については、「酔ってるス」シリーズの第9回「灼熱のおでんうどん」を読んでいただければ話が早い。
さて、ぼくはいつからマグマ舌になったのか。とくに考えてきたことはなかったのだが、本シリーズ「フード病」を書いていく中でその萌芽に気がついた。
第1回では子供の頃から大好きだった即席ラーメンについて書いたが、その時点ではとくに高温であることにこだわりがなかった。しかし、第10回の「グラタン・ショック!」を書いているときに、ああここだったのかと思い当たった。
オーブンで焼かれて出てくるグラタン。容器が熱々なのはもちろんのこと、表面の溶けたチーズの熱さが舌に絡みつく。さらに中身をほじくってマカロニをフォークに突き刺し、がぶりと噛み締めると穴から灼熱のホワイトソースがジュワッと飛び出して、あぢぢ、あぢぢ、あぢぢ! となる。普通の感覚の持ち主なら、その熱さは苦痛に感じるのだろう。でも、ぼくはそれが快感だった。火傷寸前の舌がヒリヒリする感じ。喉の奥を灼熱の汁が駆け降りていくスリル。これがたまらなく癖になるのだ。
高校生になるまでは、自ら進んで熱いものを食べ歩くことはなかった。やがて専門学校生になり、就職して社会へ出ていくようになると、自由に使えるお金が増える。つまり、親が与えてくれるものだけを食べるのではなく、自分の食べたいものを食べに行くことができるわけだ。
ぼくが外食といえば、かつ丼でもカレーライスでも寿司でもなく、優先的に「麺類」を選ぶようになった理由は言うまでもない。他の食事に比べてそれらが格段に熱いからだ。麺類=熱いもの。したがって、同じ麺類であってもスパゲッティや焼きそばを選ぶ機会は少ない。熱い汁のない麺類はつまんないのだ。マグマ舌は真夏でさえ灼熱を求む。
自分がマグマ舌であることを明確に自覚したときの出来事はよく覚えている。20代に勤務していた製図会社でのことだ。
その会社は、昼食時に希望する人間は仕出しの弁当を取ることができた。朝、始業と同時に弁当の注文表が回ってくる。その日のメニューを見て、食べたいなと思えば名前を書き込み、食べたくないと思ったなら弁当は注文せず、外食へ行けばいい。
弁当というのは(マグマ舌人間にとって)冷たいものだから、なるべく食べたくない。しかし、新入社員のぼくはまだ給料も安いので、そうそう外食ばかりするわけにはいかない。だから、週のうち3日くらいは弁当を注文していた。
昼前に届けられる弁当には、大鍋で味噌汁も付いてくる。昼食時間になると、この鍋を有志がコンロにかけて温め、弁当を注文した社員たちに配るのだ。味噌汁はとくに日替わりで具が変わるようなことはなく、大根、人参、ねぎ、それに脂身が多めの豚肉。つまり具材少なめの豚汁のようなもので固定されていた。可もなく不可もなく無難な味。
汁の表面には油が多めに浮いていた。脂身が多めな安い肉を使っていたからだろう。しかし、ぼくはここに目をつけた。
味噌汁の配膳係を他人に任せると、全員分をお椀によそってから配るので、ぼくの分が届く頃には冷めていたりする。あるいは、そもそもまだぬるい状態でよそい始める奴もいる。
それじゃダメだ。味噌汁係はオレに任せろ。
ぼくは率先して味噌汁係を買って出て、常識的な温度の味噌汁をみんなに配る。その後、鍋の火力を全開にする。当然、味噌汁はグラグラと沸騰し始める。
「お味噌汁は煮立てると味噌の風味がとんでしまいます~」
うるせえ、猫舌は黙ってろ!
表面に大量の油が浮かんだ汁を加熱すると、どうなるかわかりますね? そう、いつまでも温度が下がらず、弁当を食べている間、ずっと熱々の味噌汁が楽しめるのだ。ぼくは沸騰した味噌汁を自分のお椀によそうと火を止め、すかさず自分の席に持って行く。熱くて最高だ!
やがてぼくは蓋付きの味噌汁腕を購入し、会社の給湯室に常備した。これを使えば、ひと口啜るたびに蓋をすることで味噌汁の温度低下を抑止できるからだ。我ながらどうかしていると思うが、そのようにしてぼくは我がマグマ舌を育ててきた。
マグマ舌にとって、鍋物は魔物である。鍋は冬の季語だと言われるが、ぼくにとっては四季を通じて鍋が季語である。我が家は家族みんな鍋が好きなので、冬はもちろん、夏でもときどき鍋をやる。ぼく自身は毎日鍋でもいいとすら思っているが、さすがにそうもいかないので、夏は月に1~2回というところだろうか。
ところが、最近は事情が変わってきた。母が年老いて熱いものが苦手になったのか、あまり鍋を喜ばなくなってきたのだ。カレーも、以前は中辛くらいなら普通に美味しい美味しいと食べていたのに、いまは甘口じゃないと「辛い……」と言って嫌がるようになった。刺激への耐性が弱まっているのだろう。
残念だが、こればかりは仕方ない。だから、いま我が家の鍋物は、冬は週に1~2回、夏は月に1~2回という頻度に落ちてしまっている。夏でも月に1~2回も鍋をやる時点で、どうかしてるとは思うのだが。
ちなみに、上記した鍋の頻度はあくまでも家族の夕食に限っての話であって、ぼく自身はそれとは別に、小さい土鍋での一人鍋晩酌を、四季を通じて週に2回はやっているので、ご安心ください。
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