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一人の男のFIREに至るまでのストーリー

地方の小さな町で育った自分が、都会の大学に進学し、JTCで働き、最終的にFIREを達成するまでの道のりには、紆余曲折あった。そして、その中のある出来事が人生を動かす転機となった。
そんな私のFIREに至るまでのストーリーを書き綴ってみようと思う。


上京、就職、そして希望に満ちた社会人のスタート

地方の高校を卒業し、大学入学と同時に上京。理系の学部で学び、卒業後は運よく名のあるJTCにエンジニア職として就職することができた。就職氷河期とリーマンショックの間の時期で、自分の世代にとっては比較的恵まれたタイミングだった。名の知れた企業に就職できたことに、安心感と少しの誇りを抱いていた。

エンジニアだった私は「世界を驚かせるものを作りたい」「海外を飛び回りたい」、社会人生活を始めた当時は、こんな希望に満ちていた。会社でプロフェッショナルとして認められ、後輩たちに慕われる存在になる――そんな未来を描いていた。

だが、現実はそう甘くはなかった。


現実の壁と挫折の日々

配属先は製品開発の設計部署。もともと自信があったが、現場ではまるで通用しなかった。周囲のスピードやスキルについていけず、次第に受け身になり、面白い仕事が回ってくることもなかった。

当時、プロジェクトリーダー職の先輩が輝いて見えた。「30歳までに自分もこのポジションを」と目標を立てたが、最初の数年従事していたプロジェクトが頓挫。それと時を同じくしてリーマンショックが直撃した。景気悪化のニュースに将来への希望が無くなり、「このまま会社にぶら下がって老後まで自由がないのか」と絶望した。

その後、多忙なプロジェクトに配属され、毎日終電、休日出勤が当たり前の生活を送った。当時はワークライフバランスという言葉もなかったため、月の残業は100時間を優に超えた。心身ともに限界を感じながら働く中、同僚の中には突然会社に来なくなる者もいた。つらい20代後半――そんな一言では表現しきれない過酷な日々だった。


転機:海外エンジニアとの出会い

そんな自分を変えたのは、あるプロジェクトで出会った海外のエンジニアたちだった。彼らはその国ではトップクラスのエリートであり、モチベーションの高さと視野の広さに圧倒された。自分の視野がいかに狭かったかを痛感する出来事だった。

この経験をきっかけに、自分の生き方を振り返ってみた。そして「もっと主体的に仕事をしよう」と決心した。同時に「つらい働き方をしてきた自分の経験を活かし、誰もが力を発揮できる環境を作りたい」と思うようになった。30歳を迎えたころ、「40歳で起業する」という目標を立てた。


変化の始まり:行動を変えた30代

目標を胸に、行動を大きく変えた。膨大な自分の仕事を抱えながらも、周囲の困っている同僚を助け、上司からの依頼はすべて一つ返事で引き受けた。

結婚し、子供も二人生まれたころ、30代前半でついにプロジェクトリーダー職を任された。念願のポジションであったが、そこにもまた新たな壁が立ちはだかった。


リーダー職での葛藤とFIREへの決意

プロジェクト全体を管理し、メンバー全員を支えるリーダー職は、担当者時代とは全く違う難しさがあった。模索していた矢先に大きなトラブルが発生。見かねた上司が強権を発動、プロジェクトの手綱を握る場面があった。自分の力不足を痛感すると同時に、「会社では上がいる限り本当に思い通りにやることはできない」と悟った。この経験が転機となり、「自分で自分の人生を生きたい」とFIREを志すことになった。

ここで、細々とやっていた株式投資を本格化し、FXにも挑戦。しかし、裁量取引で失敗。数十万円の損失を出し一時撤退した。FIREは程遠い夢だった。


一筋の光と二度目の現実

その後、このプロジェクトを何とかやり切った。そのことは自分にとって大きな自信となり、以降は次々とリーダー職を任されるようになった。上司や職場からの信頼も高まり、ついには会社の経営計画など、社運を左右するような大きな仕事も任されるまでになった。

だが、そこでまた新たな試練が訪れた。コロナ不景気の影響で会社の状況が一変。自由度の高かった業務は消え、マイクロマネジメントが横行するようになった。予算管理が厳しくなり、息苦しさが募る中、慕っていた上司が上層部との対立をきっかけに退職。さらに長年お世話になった先輩が心の病で求職し、そのまま退職するという事態が重なった。

この経験を通じて改めて「会社に縛られる人生」に強い抵抗感が芽生えた。


投資と副業、そして資産1億円の達成

ここで尻に火がついた。なんとしてもFIREを達成する。
そう誓ってすぐ行動した。資産形成を再スタート。副業ではアフィリエイトに取り組み、徐々に軌道に乗せた。

また、会社内で異動しながら経験を広げることにも注力した。同時にスタートアップ企業に兼務しゼロからの事業づくりを経験。この活動が自分の視野を大きく広げ、FIREを目指す決意を後押しすることになった。

コロナ不景気で一段と会社の管理が厳しくなる中、副業収入は安定し、投資の利益も加速。ついに資産1億円を突破した。そして、あるタイミングで覚悟を決めてFIRE。同時に地元へのUターンも決断し、私の人生は次のステージへと舞台を移した。


FIRE後の新たな挑戦

FIRE生活を送りながら、自分の原点に立ち返った。もともと掲げていた「40歳で起業する」という目標を思い出し、再び行動を開始。現在は地元で起業に向けた準備を進めている。


行動が人生を変える

FIREを達成できたのは、転機ごとに行動を変える決断をしたからである。そして、FIREによって手にしたのは「お金」だけでなく、自分の人生を自由にデザインする力だった。

地方の小さな町で育った私が、JTCでの苦労を乗り越え、FIREを達成し、今では新たな挑戦に向けて動き出している。人生の目標は順風満帆ではないが、行動し続けることで道は必ず開ける。これが、自分が身をもって学んだ真実である。

今どんな状況でも誰でも自分が思い描いた夢をいつかかなえることができる。その都度考え行動し続ける限り。

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