ピンクは女の子の色だって誰が決めた?
この記事は、考えることを放棄していた一つの疑問を思い出させてくれた気がする。残念ながら、社会が当たり前に提示していたことだからつい忘れていたのだ。
ピンクが女の子の色になったのはいつ?
この言葉の持つ重みが、社会によるラベリングへの警鐘に思えてならなかった。
一度ラベリングされてしまえば、もう、社会は引き下がれないところまで来てしまっているのだと自覚するしかない。
女の子の色がピンクなのだと社会の一般的価値観に染み込ませたのは、他でもない社会そのものなのだから。
ピンクじゃなければ良いのか
それなら女の子の色がブルーで男の子の色がピンクとすれば良いのか?!と言われたら、それは違うと断言できる。
何より、女の子の色はもともと、どちらかといえばブルーと捉えられていた歴史を踏まえても、どちらがどちらの色をとるかが問題ではないのだ。
記事の中でも触れられているが、中世では多くの場合、女の子はブルーを纏っていた。
それは、ブルーが清らかなイメージを持っていたからだろう。透き通った水のような色は、清らかな少女のイメージを連想させる。
アルテミス(一般に処女神とされる)はおろか、ヴィーナスの絵画にまでブルーを描くのは、男性が女性に清らかであること(つまり、処女性)を求めていたからだろう。
聖母マリアの所謂イメージカラーがブルーであるのは、もちろん彼女が処女であり、誰よりも清らかな女性であるから。ブルーと女性の結びつきは、キリスト教的価値観とも矛盾しなかった。
だから、女の子の色がピンクだとされることに反発して(男の子の色とされる)ブルーを選択するのは違うと思うのだ。
勝手ながら、漸く払拭された「女は清らかであれ」という社会的なレッテル貼りを思い起こさせるからかもしれない。
そういうつもりでなくても、歴史がある以上、ブルーへの回帰へは疑念を抱かざるを得ない。
ラベリング理論
さて、中世における女の子らしさ(というよりは、「女の子に求められた色」という方が適切かもしれないが。)を意味する色は、(おそらく)現代になってピンクにすり替わった。
ピンクというのは可愛らしい色だ。
女の子は、依然守られる立場であるということを前提に、「清らかであるべき存在」から「可愛らしい存在」に認識が改まったのだと捉えても良いかもしれない。
女の子はピンク、男の子はブルー。
この定式のせいで嫌な思いをしたことがある人も少なくないだろう。
まだ生まれてくる時の性別が分からない赤ちゃんにプレゼントする服の色は、ピンクとブルーを避けて無難に黄色にする、とか(これも大人の独善的な感覚に基づくのだという話は、この際置いておく。)。
ピンクとブルー理論に似ている問題で、ランドセルの黒色と赤色は、その背後に特定の性別を想定している、とか。
公衆トイレは大抵、女性用はピンクや赤で装飾され、男性用はブルーで彩られている、とか。
社会的にピンクは女の子の色であると決めてしまうことは、これが一般的な認識であると受け止めないと、「逸脱」した感覚の持ち主だと言われることを許す事態に繋がる訳だ。
とある残酷な男の子は、黒いランドセルを背負う女の子に「お前は男なの?」と迫る。ブルーの配色がなされた女子トイレを見ると紛らわしいと思う。
「逸脱」したのは黒いランドセルを背負った女の子であり、女子トイレにブルーの配色をしようと考えた管理人の側という認識が「普通」とされるのだ。
今の時代、ピンクは女の子でブルーは男の子というのはもう古いと言う人もいるだろう。
だが、実際にそういう価値観が浸透した社会で生きてきた人間が(もちろんこれを書いている私も含め)わんさかいる時点で、まだ社会は新しくなりきれやしないのだ。
ここでは(不親切なことだと認識の上で)ラベリング理論については触れなかった。気になった方には是非この本を手にとって欲しいのだが、ラベリング理論は新たな視点を与えてくれると信じている。
今の時代、「ラベリング」という言葉が学術的で一般的でないという認識は薄まっていると思う。実際、日常会話で使われる機会も増えたのではないだろうか。
それだけ社会は今、「尊厳ある自由な個人」に対するレッテル貼りに敏感になっている。
事実、ジェンダー、人種、身分、職業など挙げればキリがないが、社会が用意した「差」、そして、それぞれにおける「差別」や「区別」に対して関心が高まっていることは否定できないだろう。
「差別」の根源に、社会が用意したレッテル貼り、時にスティグマとも言い得るそれが関わっていることは自明だ。
それらは大抵意識的なものだが、社会が無意識に行っているラベリングは少なくないと私は思う。
それが例えば、「ピンクは女の子の色だ」というレッテル貼りなのだ。
今の時代なりの方策
元も子もないことだと言われればそれまでだが、正直言って、一度ラベリングされたものを引き剥がすのは至難の技だ。
友達同士でつけたかつての渾名をなかったことにするのとは次元が違う。
それはもちろん、これはこうだと社会が決めた事柄を否定するということは、社会と戦うことを意味するからだ。
それだけ、社会が決めた一般的認識は大きな意味を持つ。
一個人の力では覆せない大きな問題で、国の中枢にかかわって社会の制度そのものに立ち向かう他ないのだ。
ここで、SNSの波及力を思い出してみたい。
本当に一個人の力で覆せないと断言してしまって良いのか?
確かに、一度浸透した認識をなかったことに出来ないということは否定できない。
しかし、その認識の取り消し自体を社会に要請するのは、昔に比べてよっぱど身近な事になったと言えるのではないだろうか。
王がルールを定める時代において、社会は王の心が反映されたものだったと言って良いだろう。
だから、人々がそのルールから抜け出すには革命を起こして王を廃する他なかった。
国民(市民)の意見を代表する者たちが社会を動かすようになっても、彼らが容易に金や権力、武力に傅いてしまい、しかも紛糾の手立ては一切ないという時代もあった。
この時代、社会は必ずしも国民の味方ではなく、社会は簡単に、国民が国民の首を締める場となり得た。
今は、そうした時代に比べるとずっと声が上げやすくなった。
「誰でも」と言うのは綺麗事になるかもしれないが、広くいえば「誰でも」チャンスがあるのだと言えるだろう。
声が上げやすくなったことと、実現することは必ずしも繋がらないが、声を上げる機会が増えたことは肯定的に捉えるべきだと考える。
レッテル貼りから逃れるためには、「社会」が一致団結して「社会」に立ち向かう他ない。
一見矛盾したことにみえるが、だからこそ難しい問題を孕んでいるのだ。
レッテル貼りをしたのは本意でなくともやはり社会であり、先人の「尻拭い」は今を生きる人間にしか出来ないのである。
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