目を瞑っていても起きていられる方法が知りたい
ねむい
少なくとも私にとってこの言葉は呪文になり得るものらしく、この三文字は私を性懲りもなく眠りに誘う。
ねよう
これならまだ分かる。だって、明確にベッドに誘われているじゃないか。
でも、「ねむい」と言われれば「ねよう」に直結するのが私なのだ。
まず、作業スペースの真隣にベッドがあるのがいけないんだろう。気がつけば片足はベッドに乗っかっていて、気がつけばそのまま身体ごとスライディングして気がつけば寝ている。この一連の流れについては、はっきり言って記憶にない。確実に意識してなされた動作のはずなのに、寝るための行動は、私にとって全て本能で片付けられる程すっきりとしたものらしい。泥酔して帰った時の方がよっぽど記憶があるというものだ。
ただ、この位置関係はどうしても譲れない。部屋の構造上、今のベッドの位置が一番収まりが良く、机での伏せ寝を一番回避出来る。気がつけばベッドの上で朝を迎えてしまうのは不本意だが、ベッドがそこになくても机の上で朝を迎えるなら、結局寝る場所が変わっただけのことだ。だったら絶対ベッドで朝を迎える方が良いに決まっている。
そう、結論から言えば何も解決していないのだ。だって、明確に睡眠の誘惑に乗り続けているのだから。
多分、私はロングスリーパーだ。それも、それを誇りに思っているタイプのロングスリーパーである。
歴史上ショートスリーパーの方が名を残しているなどと言われているが、全く気にしない。むしろ、彼らは実際、命を削っていただけではないのかと思う。
確かに、何かを成し遂げるのに人より多くの時間を費やすとなった時、一番削りやすいのは睡眠で、最終的に削ることになるのも睡眠だろう。レポートの提出前は全く寝ない日々が続くことを思い出せば、実体験を伴ってその理屈とやらを教えてくれる。だが、だからと言っていつも睡眠を削り続ければ良い成果は生まれまい。良質な睡眠の元で良質な思考が育ち、考えが整理されて、冴えた発想が生まれる。
だからやっぱり寝るのって大事なんだよ、と自分に言い聞かせているのが寝たいがための言い訳だとしても、私はやっぱり寝たいのだ。
「ねむい」→「ねよう」→「ねたよ」
これで良いんだ。
「ねむい」→「ねよう」→「ねない」
これは、本当に成し遂げたいことが見つかった時のための必殺技だ。
だから私は、必死に眠い目を擦ってPCに向かう。
横目でベッドを確認しつつ、ぎゅッと目を瞑って視界からベッドを追い払う。
ナポレオンにヒントを得た三時間睡眠は最低限確保して、やるべきことをきちんとこなす。
朝はきちんと起きる。二度寝を決め込むことも絶対にしない。
これが希望や妄想に終わらないように手の甲を抓って、私はちゃんと「ねよう」から逃げ続ける所存だ。
ああ、何から書き始めようかとあんなにもわくわくしていたのに、自己紹介を抜きにした初めての投稿は、とりとめのない睡眠の話になってしまった。初めてだからやっぱり少し緊張するとか思った私の純情を返して欲しい。だけれども、睡眠が好きな私が最初に睡眠をテーマに書くというのはある意味で綺麗にレールの上を走っているような感覚がして悪くないかもしれない。
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