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ツイッターを10年やってみた。

お、そこの若いの、わしの話を聞いてくれるか?そうか。

では話そうかの。

今から10年ほど前のことじゃった。

ツイッターでは #ドロリッチなう という言葉が流行っていたそうな。
ドロリッチは森永製菓から出てきた当時の「新感覚スウィーツ」でそれなりに美味しく人気もあったのじゃが、原料高騰なのか世の中が世知辛くなったのか、ドロリッチは販売開始時は250グラムあった内容量が、値段そのままで、一時期はこっそりと告知なしに150グラムまで減っていき、人々の支持を失い、最後180グラムにまで戻ったらしいのじゃが、その信頼を取り戻すことができず、ついに2019年3月に生産販売が終わったそうな。

また、歌手の広瀬香美が当時人口が少なかったツイッターのなかでは著名人として存在し、人気を博していて、ツイッターのロゴが「ヒウィッヒヒー」に見えるということで、「ヒウィッヒヒー♬」というのが、サビになっている(しょうもない)「ツイッターの歌」を作り、住人たちな牧歌的に盛り上がっており、今で言うバズりを起こしたのじゃが、その時のRT数は1300程度でツイッター村は今に比べてものすごく人数が少なかったということじゃ。

やがて、ツイッター村は震災時にその有用さを認められたのか、10年間でどんどんとその人口を増やし、村から町へ、町から都市へ、都市から国になるように、その規模をどんどんと拡大し、そこからムーブメントを発信したり、選挙運動に使われたり、いまや欠かせない情報インフラのような存在に肥大化していったのじゃった。

人数が増えれば当然、大人も子供も男も女も山師も悪い人間もキチガイも芸能人も犯罪者も右翼も左翼もヤクザもバカもお利口さんも当たり前のようにやるようになった。

あちらこちらで炎上と争いを繰り返し、それでもツイッターは拡大していった。

欲望と自己承認欲求と主張が激しく渦巻く巨大な情報のバケモノとなった。

いまでは10年前の牧歌的な雰囲気はいまや無くなり、事件を告発したり、いまやテレビでさえツイッターの情報をアテにしたりしておるのはお前さん達も知ってのとおりじゃ……

というわけで、先日、ツイッターから見慣れない通知が来た。

「10年前のこの日にあなたはツイッターを始めました!特別なツイートでお祝いしましょう!」という物だった。

かねてよりツイッターがなんだかシンドさを感じていた俺はとても複雑な気分になった。
冒頭の文章はそんなきっかけで、10年前を思い出して書いたものだ。

#ドロリッチなう

俺はひねくれものだったので、当時はその流れには乗らなかったのだが、10年経った今、あえて #ドロリッチなう をしてみたが、ほとんど反応はなく、いにしえのbotが反応したくらいだったことに当たり前ながら時間の流れを改めて感じた。

「昔は良かった」などというのは懐古主義のようで、ダサい気がするが、今のツイッターはストレスと面白さ、どちらが多いのかを考えるとはるかに昔のがストレスはなかった気がする。

若者はそういうものを敏感に感じて、ツイッターを離れ、インスタやTikTokやライブ配信アプリなどの文字に依存しないプラットフォームで盛り上がっているのだと思う。

ツイッターにおけるストレスは色々あるが、今、一番嫌な気分になるのが、しょうもないマウンティング野郎の存在だ。

通称、"山男"と俺が勝手に呼んでる存在だが、こいつらがツイッターには無数に生息している。

会ったこともない得体の知れない奴にマウンティングされて嬉しい人間なんてこの世に居ない事くらい分からないのか!と思うが、この種のアカウントは増えている一方のような気がする。

そのマウンテ年ィングもしょうも無いやつだと、たとえば何かのネット記事をシェアしただけの人(その人が書いたわけではない)のツイートに「分かっていない。これは違う」だのと引用リプする。

その人はただシェアしただけなのに、わざわざ引用されて山男の愚にもつかないマウンティングの一言を見せられるわけである。

見当違いも甚だしいし、ハッキリ言って超迷惑じゃねえ?

本人は悪意なくやってるのかも知れないが、
こういうのは知識があるとかないとか以前に、自分がやってる行為を自分がやられたら嫌かもという超基本的な想像力が足りない。

もしくはだいたいの山男がフォロワーが少ない傾向があり、SNSをはじめたばかりの初心者が自分の言葉がパソコンやスマホの画面に出る事が楽しくてついつい何も考えずに、書いてしまっているのかも知れないが、される方にとってみりゃたまったもんじゃないのである。

昔はネット掲示板とかではその場の空気やルールを把握するために「半年ROMれ」(ROM= read only member、読み専)などのルール(?)があり、空気も治安もそれなりに保たれる傾向があった。

しかし、もはや膨大に膨れ上がったツイッター人口と恐ろしい情報大濁流の中ではそんなルールはもうないのである。


荒みきった人心。
あちこちで炎上の火の手があがる。

ざっと自分が見ているタイムラインを思い出してみる。

政治や日常への不満
闇営業について
18禁のイラストや写真
グラビアアイドルの自撮り
かわいい動物動画、写真
大麻合法化賛成!大麻ダメ絶対!
#手押し #野菜
オリンピック楽しみ
オリンピックやめろ
韓国むかつく
ヘイトスピーチ反対
安倍やめろ
反日やめろ
ネトフリのアレが面白い
パワハラされた
セクハラされた
プラモ作ったから見て
れいわ新撰組最高
れいわ新撰組ヤバい
消費税反対
障害者差別すんな
今日の運勢はこれ
今日は暑い
クソ上司が許せない
思ってることをエッセイ漫画にしたよ
なんでも質問してください
スピリチュアル世界への誘い
陰謀論
金を配る怪しい経営者
警官の横暴な職質の動画
N国党はヤバい
ヤクブーツはやめろ
陽キャvs陰キャ
貧困にあえぐ中年や若者の怒り
楽して儲かる投資、ビジネスノウハウ
情報商材買いませんか
DJ MIX作ったから聞いて
曲使ったから聞いて
イベントやるから来て
オフパコ募集
泥酔報告
飯テロ
ちょっとでも◯◯だと思ったらRT
会社行きたくない

カオスであり、社会の縮図そのものであるといっても過言ではない。

これでもまだ一部だが、ツイッターとは、こうした取り留めもない情報や意識が一緒くたに大濁流となって流れてくるのだから、たしかにこれは他にないほど、 超刺激的であり面白いものではあると思うのだ。

しかし、これを日常的に見続けていたらどうかしてくるんじゃないだろうか?
そもそも普通に生きていく上では、こんなに情報はいらなかったはずであるはずなのに、すでに生活の一部と化し、ツイッターが世の中の全てであるような錯覚にも陥ってくる。

これらに加えてクソリプの応酬や、そして先ほど書いたマウンティング野郎などしょうもない要素が加わってくる。

さらなるカオスが吹き荒れ、SNSのディストピアがそこにあると分かって居ながらもまた今日も刺激や興奮や怒りや笑い、その他何かを求めてタイムラインを眺めてしまう。

「もう見なければいい、やめてしまえばいいい」というのはもっともな意見であるが、とはいえ、いくらツイッターを始めとするSNSに疲弊したといっても、我々は初期のMixiなどのインターネットカルチャーで楽しんできたし、ある種、育てられて来たことは否定できない。
インターネットやSNSに恩恵を受けてきたことは間違いないのだ。

しかし、とはいえ、今のツイッターは、もはや我々の安住の地は無いのではないか?ということだ。

そういえば、自分が一番楽しくSNSをやっていたのは、ツイッター以前の世界、そう、初期のMixiだったような気がする。

我々は失われたマウンティングがなく、拡散とかを気にしない、ほのぼのインターネット理想郷を目指して新天地を作ることにした。

それがアシパン学園で今まさに作られようとしている!

アシパン学園は専用のクローズドSNS(Mixiそっくり)を用意して、あの頃のほのぼのインターネットの空気を現代に蘇えらせる事が出来るのかの実験の場を用意した。

別に我々の学園に入れ、とかそういう意味ではないが、クローズドのSNSの良さを見直すべき時期に来ているような気がするのは俺だけじゃないはずだ。

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プロハンバーガー
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