「頑張る」は人間にとって不自然だ。
僕は頑張るのが嫌いだ。頑張りたくない。
好きなことしかやらないし、嫌な事は絶対にやりたくない。
「頑張る」という言葉の意味は、一般的に「嫌なことを無理してやる」と解釈されることが多い。しかし、驚くことに、世界の半分以上の国々では「頑張る」という概念が存在しないのだ。この事実は、私たちが当たり前のように使っている言葉が、文化や習慣によって異なることを示している。
考えてみれば、頑張るという行為は人間にとって不自然なものかもしれない。本来、私たちは自分自身の欲求や喜びに従って行動し、心地よさを追求する生き物である。しかし、社会的な圧力や期待、責任感などによって、我慢や努力を強いられることがある。そして、その結果としてストレスや疲労が蓄積され、表情にも現れるのかもしれない。
特に日本人は、頑張れという言葉によって育てられてきたと言っても過言ではない。幼い頃から周囲からの期待や競争意識、社会のルールに従って頑張らなければならないと教え込まれてきたのだ。その結果、多くの人々が日々の生活や仕事において、自分自身に対して厳しい要求を抱え、常に頑張らなければならないと感じている。洗脳である。
このような状況は心身に大きな負担をかける。ストレスや疲労が蓄積され、さまざまな健康問題や心の不調を引き起こすこともある。また、表情にもその負担やストレスが現れることがある。表情は、私たちの内面の状態を反映する窓であり、心の健康や幸福感を示す重要な要素でもある。そのため、頑張りすぎやストレスによって引き起こされる表情の変化は、自然な反応と言えるかもしれない。
もちろん、頑張ること自体が悪いわけではないが、無理やり頑張り続けることは、心身のバランスを崩し、健康や幸福感を損なう可能性がある。
したがって、私たちは自分自身に対しても優しくあるべきで、自分の限界やペースを理解し、必要な休息やリラックスを取り入れることが重要だし、また、社会や文化の中で押し付けられる「頑張らなければならない」というプレッシャーに対しても、自分の心や健康を大切にすべきた。
「頑張る」という言葉がない国々の人々には、自然な生き方や幸福感があるのだと思う。
残念ながら我が国には「頑張る」という言葉がある。だから頑張らさせられる事もある。
しかし、それが自分自身の本当の望みや幸福に繋がっているのかを考えることは重要だ。
日本の社会において、「頑張れ」という言葉は励ましや奮起を促す意味合いもあるが、過度に押し付けられることでストレスや心の負担を抱える人も少なくない。そのため、「頑張る」という言葉に対しても、個々の状況や心理状態を考慮し、自分自身を大切にする判断をすることが求められるだろう。
頑張ることは素晴らしいことだが、自己を犠牲にするような頑張り方は長期的には持続しづらい。むしろ、これからの時代は日本でも「頑張る事」自体が時代錯誤となり、頑張る事がすなわち不幸につながると言う解釈になるかもしれない。
それでも頑張りたい人は「嫌にならない程度に頑張る」ことをお勧めする。