老いるということ
一年前の母
facebookの機能に「X年前の今日」というのがあります。鬱陶しいようで、でも見てしまいます。
X年前も似たようなことしてるなあ(走ってたり、レースだったり)
子どもたち、大きくなってもう遊んでくれないなあ。
といった感想が多かったのですが、今日出てきた画像は、1年前のGW、私と主人と私の母とで急に思い立って香川旅行に行った時のものでした。予定のなかったGW、主人が実は前から行ってみたかった、という日本のウユニ湖、父母が浜を目指すというもの。娘は東京からバイトで帰省せず。息子は受験勉強中ということで、なんでも誘えば喜んでついてきてくれるうちの母を誘うことに。
大渋滞に巻き込まれ、そもそも四国に入る前で一度高速を降りて休憩。なんとか香川に入った時にはお昼ご飯時を過ぎていてやっとのこと探したうどん屋さんで遅いお昼。そのあと銭形砂絵を見て、ウユニ湖で母と腕の輪を作って写真を撮り、もう一度サービスエリアでうどんを食べて遅くに帰宅。母はとっても喜んでくれました。
母の手術
その後、去年の秋、足の静脈瘤の手術をした後にどうも歩く調子が悪い、ということで病院に行った母がなんとパーキンソン病の診断を受けました。私はすぐには受け入れられなくて、パーキンソンの診断って、間違いはないのか?と友人に相談したら、検査で結構確実に診断がつく病気とのこと。
さらには、脚が痛い、という悩みで受診し、今度は変形性股関節症の診断がつきました。最初の開業医では、年齢も年齢なので(81歳)術後動かない期間がある方がよくない、手術はお勧めしない、と言われたのですが、あまりに痛いらしく、あの外出好きな母が家を出たがらなくなり、なんとかセカンドオピニオンを受けてほしい、と思っていたところ、社交ダンスの先生からご紹介いただいた病院であっさり手術を勧められて11月に手術。
1か月くらいで出てこられるかと思っていたら、この病院、リハビリもとてもしっかりしていて、それをこなしてから年明けの退院ということになり、母は病院で年を越し、父は初めて母や私に聞いて自分でお雑煮を作りました。
年明けて無事退院し、久しぶりに家族で食事。と思いきや、また足が痛いというので受診。今度はヘルニアの病名がついてこちらも手術することに。結局3月に検査後すぐ入院―手術で、退院がGW頭となりました。
外を歩くときは杖。右の足が上がりにくくいろいろと不自由はあるようですが、痛くはないというので一安心。
自炊を放棄した母
「おかずを取りたいので、何か調べてほしい」
退院前に母から相談されました。
え?おかず?
母といえば、うちの子どもたちが、我が家の味、と絶賛するお料理上手で、特にママちゃん(母の事)のカレーライス(水を入れない)、ハンバーグ(ふんわり肉汁)、カツサンド(ヒレカツがぎっしり!)オムライスなどは絶品ぞろいで、娘の友人からも、「ママちゃんはお店を開いたらいいのに」と言われていたほど。父が偏食ということもあり、外食の少なかった我が家は何でもかんでも母の手作りで食べていたのでした。
そんな母が自分で作らずに人の作ったものを毎日食べるという。もちろん父は絶対に出来合いのものは食べないので(コンビニやスーパーのお惣菜も絶対に買わない。母の入院中はすべて男の手料理で乗り切った)母だけが宅配おかずを利用することになります。
我が家は私が週中いなくて、息子が毎日家で昼も夜も食べていたので、私が東京に週中単身赴任をしだした5年前から宅配冷凍おかずを利用していました。今や有名なnosh。最初に食べだした頃は、「子どもたち、ごめん!」という味だったのが、あれよあれよとおいしくなり、今回息子がいよいよ家から出て余っていたnoshを食べてみたら、これはおいしい。
今回母のために宅配を調べたところ、大きく分けるとnoshタイプの冷凍ものと、毎日届くタイプに分かれ、たまたま毎日届くタイプで実家の近所でやっていたところが試食をできるということで、noshを一つと、こちらの試食を母に届くように手配しました。
結果、毎日届くタイプは、家の近所のみの小規模展開で、容器も引き取ってくれて再利用。月―土で毎日利用できるということで、母はこちらを頼むことに。
昨日実家に帰った時には、私には二人が食べた鰻が一尾残っていたのを出してくれて、両親は近所のスーパーのハンバーグ(家で焼いて食べるタイプ)を食べていました。私は母のハンバーグがあまりにおいしく、海外赴任した時に作り方を教えてもらって以来自分でも一応9割は再現できるようになっているので、外食では絶対にハンバーグを食べないことにしています。というのも、どんなにおいしい、と言われているところのを食べても母のハンバーグにはかなわず、ああ、食べなきゃよかった。。となってしまうから。
思った通り、母も一口食べてスーパーのハンバーグは食べきれず、終わり。。
今度は私が両親にハンバーグを届けてみようか?でも100%再現している自信はないんだけどなあ。
一年の重み
子育てをして痛感したのが一年の重み。大人の一年はあっという間に終わって、老けたのか、成長したのかはっきりした実感のないことが多いのですが、特に子どもが小さい時の一年は大きい。去年できなかったことができ、去年とは顔つきも大きさも全然違っていたりする。それは親にとってとてもうれしいことだったりします。
今度味わうことになったのが、年を取ってから、特に80台を超えた両親の一年の重み。一年前はあんなに元気だったのに、こんなところにも一緒に行ったのに、というのが信じられないほど、できないことが今度は増えていく。周りで見ていても歯がゆいのだから、本人はどんなにつらいだろう、と思います。
そんな中でうらやましく年を重ねているのがうちの父。母が入院したり、できないことが増える中、前よりは圧倒的に自炊力が上がり、家のことも相変わらず粛々とこなしています。前回実家に帰った時にも、「絨毯しまうのを手伝ってくれ」とものすごく重い絨毯をしまう手伝いをしました。そういわれれば、実家の応接間、夏は板の床、冬は絨毯。これを毎年一人で上げ下げしていたのね、と改めてびっくり。今でもお雛様を毎年出してくれるのも父ですし(なので、引き取るのを拒んだまま今に至る)ふと目をやった実家の庭には見事な藤棚があって、こちらもそういえばあった気がするものの、我が家の庭といえばあまりの植木の量に踏み込んだら虫の嵐で、子どものころは全く足を踏み入れていなかったのでした。
「藤の木をそろそろ切ってもらおうと思う」
え?もったいない、と思ったら、この藤も父が日ごろ弦の手入れをしているので家の方に弦がはい出してきたりせずに今にいたるのだそうな。世話がとっても大変で、という父に、そりゃそうでしょう、とこちらもまた驚くやら、関心するやら。
私の足の調子が悪くなった時にも(ランニング)「いつまでも同じことができるとおもわずに、だんだんと手放していけばいい」と淡々と語っていた父でした。
私にはまだその淡々と手放していく覚悟がとてもなく、じたばたとまだできるはず、きっと戻るはず。でもしんどい。。という葛藤を繰り返し、自分の老いとはとても向き合える気がしないのです。
でもきっと親の老いと向き合うことで、自分の老いにもだんだんと向き合っていける気がします。
子どもの成長を通じて自分の成長実感が増し、
親の老いを通じて自分の老いも受け入れていけるのかも。
これからは今まで以上に今度は親との時間を大切にしていきたいです。