熱狂と集団ヒステリーの狭間で
『私たち、何かにとりつかれたいの』
LOVE PSYCHEDELICOの『裸の王様』(2004)という曲の一節だ。
確かにそうなんだよなあとつくづく思う。そして、私の周りでも、色々なものに取り憑かれていた人が大勢いた。音楽や映画、スポーツ、文学、演劇、漫画に絵本、環境問題や地域活動、株や投資、ギャンブル、最近は暗号通貨か、旅や交流、写真、コンピュータ、プラモ、ゲーム、自己啓発に行動心理学 etc
(まあ、私くし事ですが、中学の頃からよく『魂はもう売っち待ったよ!ミューズにねえ』とか言ってまして、誰からも相手にされませんでしたが)
もう勝手に取り憑かれていたのです。雷が落ちたように(浜省ですな、、、年齢制限かけちゃいましたかねえ)
しかし、何事にも、それほどのめり込まない人も少なくないの確かかなあと、社会に出てからだとよく感じたな。
『なんか、いいよね』『なんか、好き』『なんか、ムカつく』『なんか暇』(なんとなく系的な)←なんちゅう日本語だ。etc
若い頃は、この手の連中とは、ほとんど絡まなかったなあ。つまらないと思っていたのも事実。それでも、経験を重ねるごとに、この手の連中の奥底にある淀みのようなものが、ちらちら感じられるようになると、『ん、なんか知ってるぞ』と思ってしまう。
のめり込まない人も何かにきっかけで、一気に変貌してしまう瞬間もあって、宗教とか、政治運動とか、それ自体に関して、いいとか悪いとかはないんだけれど、ここ数年、鬱屈とか不安、不運、全貌、私だけ損してる感、などから、非難、偏見、攻撃、ヘイト、とヒートアップする情景をよく見る。
全ては、心の奥底にある淀みに、端を発してる。
それは私の中にも確かにある。
LOVE PSYCHEDELICOの『裸の王様』の二番の歌詞は、こんな感じで韻を踏む。
『私たち何か叫び足りないの』
大いなる欠落感。前へ進む駆動力にもなるし、破滅に向かう最終兵器にもなる。
カラオケでもジェットコースターでも胸熱映画上映でもロックフェスでも、たまには絶叫しましょうよ。
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