一揆の原理(呉座勇一)所感


たった二人しかいなくても一揆は結べるのだ。

秀吉の刀狩りは、百姓の帯刀を免許制とし、帯刀の有無によって侍と百姓を峻別することを目的としていたという。

以後、幕末までこれほど大規模な戦争は起こらなかった。(中略)島原・天草一揆の鎮圧により幕藩体制が確立し、(後略)

どうして延暦寺などの大寺社は、直接武力に訴えるのではなく、強訴などという回りくどい手法をとるのだろうか。(中略)より根本的には、朝廷と大寺社の相互依存関係が理由として挙げられるだろう。

「一味同心」という意思統一によって、自分たちの行動が"正義"であるという確信を得ていたからなのである。

仏は(中略)普遍的でグローバルな存在である。

「神」は、現世=現実世界に密着した存在である。

連歌は共同創作の文芸であり、百韻をまとめるための創作活動じたいの中から強い連帯感が生み出されていく

連歌の参加者は相互に対等であり、他の参加者と協調しつつ主体性を発揮し、最終的には没我=集団的熱狂に至る。これは一揆のメンタリティそのもの

匿名性によって平等性が確保されるのであり、こうした特性ゆえに連歌は幅広い階層をひきつけられた

「大きな問題でも小さな問題でもお互いに助け合う」という絆こそが「一味同心」

相手にふりかかった問題を自分の問題として考え、親身になって、その解決に協力する。実は、これこそが一揆という人間関係の本質である。

一揆の本質は、呪術的な〈神への誓約〉ではなく現実的な〈人と人との契約〉であるというところに存在する。

一揆の「一味同心」とは、そのような抽象的・理念的なものではなく、赤の他人との間に実の親子兄弟同然の親密な関係=絆を築くことを意味しているのではないだろうか。

古代と中世を分かつものは何か。色々な基準が考えられるが、一つ重要なポイントは嫡継承される「家」の成立である。(中略)嫡継承される「家」とは、それに付随する財産や政治的地位と共に、父親から嫡男へと引き継がれる「家」のことである。

しかし十二世紀以降、状況は一変する。天皇は自分の皇子に譲位し、父院としての立場から政治を行なった。これが「院政」である。父から子へと天皇の地位が譲られることで、嫡継承さらる天皇の「家」が成立する。(中略)摂関の地位も、天皇の外戚かどうかということと関係なく、嫡男が父親から継承するようになる。要するに、摂関の子が次の摂関になるという直系相続に変化したのである。ここに、摂関を継承する家である「摂関家」が成立するのである。

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