躁鬱大学中間レポート(勝手に)提出
このレポートは坂口恭平教授が生まれながらに持つ人をコントロールするカリスマ性についてのものです。教授は以前より新政府をつくると明言しており、今までもいのちの電話をはじめとして活動をしておられました。躁鬱人ならではの使命感、正義感に突発的にかられ、その行動はけっして非躁鬱人が真似できるものではないと思います。また、初段の躁鬱人ができることでもないと思います。
この十年に渡るいのちの電話を一人続けことから生み出した先日の講義の内容に私は大変驚きました。坂口恭平教授が行っていたことは、かつてキリスト教が同性愛者をコントロールした方法と合致していたからです。コントロールすると言っても、彼らを罰したり制限するなどといったことではありません。これはかの有名なフーコーという心理学者であり社会学者がフランスにあるカレッジで性の歴史の授業で詳しく話しているのですが、そこでフーコーはコントロールのために一番重要な働きをした機関として教会をあげました。教会では当時禁じれられていた同性愛や特殊な性癖を持つ人々をいち早く取り込み、彼らの悩みを神父様たちに正直に告白するよう促していたのでした。教会側はその膨大な情報を全国から集め、統計し、傾向や平均をとりました。そうすることで、同性愛者には一定の人権を、教会にはそれを把握するデータをそれぞれ持つことができます。そして教会はそのデータのもと彼らを管理し続けることができるといった内容です。つまりこれは教会の仕切る小さな国家です。
驚くのは、全国の教会が頭を悩ませ案じた策略を教授はたった一人で、それに自殺者を減らしたいという純粋な思いから(躁鬱人特有のアレ)この小さな国家を無意識的にに作り上げていることです。先ほどのケースに当てはめると、教会が坂口恭平、同性愛者が我々躁鬱人ということになります。坂口恭平はまた神父様の役割も命の電話を介して担っています。そして彼は、その十年のデータを自ら解析して、悩みはみな同じ、悩みはない、という教会もびっくりの結論を出したのです。さらにこれは、実は非躁鬱人にも当てはまるということが講義の中で話されています。なんということか!ここまできたら彼は小さな国家ではなく、大きな国家の創造主みたいなものです。私たち全員の共通項、つまり彼はデータを持っているのですから。
注意したい点として、文章中’同性愛者をコントロールする’と書いていますが、全ての権利には義務(コントロール)が付きまとっています。差別的と取られてしまったら申し訳ありません。しかし、書いている私もフーコーも同性愛者だったりします。私たちどんどん明るい方へ向かって行きましょう!