健康イチ

体を動かすことを生活の一部にしてもらうための情報発信を行っている

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最近の記事

他者の立場から自分を見る

退職した課長が最後の挨拶で、課員の一人ひとりにそれぞれの性格を見据えた上で成長のきっかけとなる一冊の本をくれた。 僕がもらった本は分厚く最初は気後れしたたけれど、あの課長のことだからきっとそれなりの考えでこの本を選んだんだろうなとついに興味が湧いて読み初めてしまった。 まだまだ序盤だが、ページをめくるたびに刺激されるほどのすごい本だ。 すごいというのは、あまりにも僕にぴったりの内容ということだ。適時というのがこういうことか。そんな思いで興味津々に読み進めていく。 結局退

    • 直感を信じていいか

      直感力。 欲しい能力の一つだ。考えてみれば自分は割りかし直感力のある方だと思う。 仕事や人間関係など、複数の選択が存在する中で、何も感じないものもあれば、理由もなく胸がうずうずしてしまうももある、という経験は何度もしている。 友達とポーカーをしていた時のことをきっかけに直感の大切さを考えさせられた。 ポーカー中に、急に次は勝てる、絶対に勝てるという思いが天から降ってきたかのように脳裏をよぎった。 ところが、出されたカードはいいものではなかった。とりあえず様子見てみる

      • 生き生きしている自分

        あの時もそうだった。 壁に突き当たりながらも来る日も来る日も頑張って目標に向かって努力していく。そんな自分を思い出すとなんか気持ちいい。 少なくとも自分のことなら目標があるときは生き生きしている。目指すものがあることが大きな原動力になって力付けてくれる。 睡眠を削っても不思議と疲れないし、確かにいつのより元気が一段も二段も良いような気がする。 大きな目標に向かっているわけだから当然上手くいかないことが多い。言ったら失敗の連続だ。できないことをやろうとしているわけだから

        • 生き様

          先日はほぼ一年ぶりに昔住んでいた街に行ってきた。不思議な町で行くたびに元気をもらう。日本に来て最初に住んだ町ではないのに一つの原点になっているような感じがあって、行くときに大事なことを思い出される気がする。 今回もそうだった。この街に行くと原点に戻るという感覚になるのは、そこで暮らしたときの思い出はもちろんあるけれど、その町で知り合った人たちとの関わりの中から生まれるような気がする。 比較するわけではないが、自分との差を突きつけられるというか、自分の足りないところが浮き彫

          西日本

          ほぼ一年振りの西日本。 その間すっかり東京の生活に慣れてきた。久しぶりの西日本はすごく楽しみだったけれど、いざと行ってみると田舎すぎる街の寂れた風景に呆れて帰りたくなった。前住んでいた町ではあるが、離れてからは行くたびに人出が少なくなるような気がする。住んでいた頃は、落ち着いてはいるが、そこそこ活気があったという印象だったが、東京に暮らしてみると東京の賑やかさに比べてまるで人がいないような錯覚をしてしまう。 だけど、それは束の間だ。 確かに田舎感は拭えない。けれど、必ず

          何でもできる、ではない

          何でもできる。 ずっと信じてきた言葉だ。 子どものときに常日頃父親から聞かされたこの言葉が一つの信念として僕の中に形成されていった。 ことあるごとに自分ができると思い続けてきた。本腰を入れない学校の勉強でも、その気になればきっとできるはずだ、という想いが心の片隅にあった。 長い間揺るがなかったこの信念には、疑問が出てきた。 仕事での度重なる失敗の中で、「何でもできる」と信じ続けた言葉の真意に疑いがかかってきた。 何でもできるなら失敗の連続はどう説明するんだ。という

          何でもできる、ではない

          卒業生へ

          春と言えば、入学式に前にやっぱり3月に卒業式があるよね。 中学生が高校生に、高校生が大学生に、大学生が社会人に。 それぞれが新たなステージに上がる中で、見届ける大人たちがエールを送る。 卒業という一つの区切りに心が動かされてのエールだと思うが、卒業する生徒や学生と関わりが深いほど思いを言葉にすることが難しい。 一般的には、人生のアドバスをしてしまう。そのずっと先を言っている人物が集めた人生の教訓や知恵を力になれたらという思いで心を込めて伝える。 伝えるのはいいが、伝

          いらない話

          飲み会が楽しかった。 先月会社を辞めた友達の送別会ということで久しぶりに会社の友達とゆっくり話ができた。 やっぱりこういうことが大事だなと思った。人に会って話をする。ネットフリックスを見たり、ハイキングに行ったり、どれだけプライベートを充実しているつもりでも、人とコミュニケーションを取ることに敵わない。 一応会社の同僚だから集まるときは、どうしても仕事の話になってしまう。 会社で言えないことを話しり、共感してもらったり、溜まったフラストレーションを吐き捨てたりしてスト

          いらない話

          気持ち

          最近ハマっていたテレビドラマがある。 半沢直樹。 ほぼ10年前に放送されていた銀行員のドラマだ。 主人公の半沢直樹は日本屈指の大手銀行の優秀な銀行員だ。金融庁による検査など、数々のトラバルから銀行を救って、その度に階級が上がっていく。偉くなればなるほど問題が大きくなり常にクビ、つまり、銀行員の生命の終わりと隣り合わせながらも大ピンチを乗り越えていくという、まさに銀行のスーパーヒーローだ。 面白いと同時に未知な金融界について勉強になることが多く、なかなか良いドラマだ。

          自信とは何か

          自信なんて存在しない。 高2の時に言われたその言葉が衝撃的だった。 そして、やるかやらないかそれだけだ。と、付け加えられた言葉が心を刺した。 自信という言葉は極限に使わないようにしてきた。他人ならともかく、自分自身について自信があるとか、自信がないとか、そんな会話を意図的に避けてきた。 私にとって自信というものは、どうも抽象的な概念のように思える。客観的に見えるものでもななければ、正体が分かるものでもない。それにも関わらず、自信がなければ何事もできないと思い込んでいる

          自信とは何か

          1日2食の生活

          断食に興味を持って久しい。 最近は、16時間断食など、色々と断食ネタが囁かれているが、今からほぼ10年前に初めて断食のことを知った。というのも、断食はただ大昔に人がやっていたことではなく、病気の治療として昔々から受け継がれてきたものだ、ということだ。 調べていくと、断食の凄まじい自然治癒力に興味が惹かれた。だが、食べないなんてことはとても考えられることではなかった。部活を中心に生活が回っていた当時の私にとって食べることが非常に重要だった。さらに、栄養は取れば取るほどいいと

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          戦力外宣告

          会社に入ってから人事に興味があった。 それは人事という仕事に、ではなく、俗にいう人事ネタというものに。 報復人事や縁故採用。漫画で見るならともかく、実際に職場で起きるとなると、それは面白いものだ。 でも、ああいう類の人事ネタは日常茶飯事ではないと思う。一般的にもっとあるのは、戦力外宣告、だ。 上層部から能力不足と判断され、中心ではない部署に配属される、というやつだ。欧米のようにクビになることがほとんどない日本では、仕事の保証という安心感がある一方で、戦力外にされたら、職

          戦力外宣告

          不適切にもほどがある

          最近人気を集めている新ドラマ、不適切にもほどがある。 たまたま知り合いに昭和と令和がどう違うのかという話をしていたときに、勧めてもらった。 タイムトラベルで2つの時代を行き来するという内容が興味引いて早速見ることにした。 1話目から大爆笑。 腹筋に筋肉痛が残りそうなくらい大笑いした。 昭和の人間の現代への不慣れと、昭和の当たり前の馬鹿馬鹿しさ。両方の様子が可笑しくて仕方がなく笑いが止まらなかった。 見ていくと、ユーモアがありつつもメッセージの部分が心を刺さって感慨深いも

          不適切にもほどがある

          負荷をかけることの大切さ

          負荷をかけないと強くならない。一方で、かけすぎるケガするリスクが高くなる。 一般的に負荷のかけ加減が大事だと思われていて、トレーニングの組み立ては強弱をつけていることが一般的だ。特に回復を促したいときに負荷を抜きがちだ。ケガのリハビリなども負荷を回避する傾向にある。典型的な例は、痛みがある場合に完全休養することだ。 場合によっては完全休養でいいかもしれないが、身体能力の向上のためにも、ケガの早めな回復のためにも、負荷をかけることがすごく重要だ。 負荷をかけることは、体の

          負荷をかけることの大切さ

          トレーニングの目的について

          当たり前のことだが、トレーニングには目的がある。トレーニングを通して達成したい目標はあるけれど、それとまた別で目標に向かう過程の中で行うトレーニング一つひとつの中にも目的と目標がある。それぞれの目的を達成して目標をクリアしていくことが、大きな目標に近づく唯一の方法だ。 トレーニングはただ何かするだけでいいというものではない。目標があるなら、その目標に合ったトレーニングではなければ、目標を達成するかどうかはただの運任せだ。目標ということは、おそらく今の自分の実力を少し超えてい

          トレーニングの目的について

          トレーニング方法の選びすぎ問題

          様々なトレーニング方法が存在する。どれも良いところもあるし、効くだろう。でも、情報が溢れている今では、あるトレーニング法の良い部分が説かれる一方で、それ以外のトレーニング法が否定される傾向がある。ぼく自身もそうだけど、自分のトレーニングを考えるときに色々なものを参考にしながらやっぱり最高のものを求めちゃうところがある。最高のトレーニング方法を求めるから、トレーニングにある様々な部分が見えなくなり、様々な部分をまとめ上げた一つの方法しか見えなくなってしまう。その結果、ある方法を

          トレーニング方法の選びすぎ問題