もし学校をつくることができたら、どんな学校をつくるか。
私の妄想学校、noteで開校します。
いつの頃からか、ぼーっとするとあることを繰り返し妄想します。
もし学校をつくることができたら、どんな学校をつくるか。
妄想の出発点が、世界中の教科書を読み比べしてみたいなぁというところから始まってるので、歴史の教科書とか国によって違うだろうから、そういうのを読み比べする授業があったらよかったなって。これって異文化理解のスタート地点になりうると思うんですよね。
あとは自分が学生時代にあったらよかったなをパッケージ。
まず手話や点字の授業。使い方だけじゃなくて、成り立ちや社会でどう使われてるのかも含めて。
街で点字ブロックの上にチャリンコ置かれてるのを見ると、無知というか関心がないというのは時に凶器やなと思うから。
音楽の授業は琴や尺八、三味線など和楽器をやりたかった。自国の楽器や音楽について、ほとんど知らないのはさびしい。小学生は難しいかもしれんけど、中学生ならいけたと思うねんなぁ。
美術は伝統工芸にまつわるあれこれ。焼き物や漆器、紙すきに染め物……ほかにもたくさんあるやろうけど、そもそも何があるのかもわからない。だから学びたかったなと。
そういえば高校時代に「文化」という科目があって、能・狂言、歌舞伎を観に行く授業があった。あれはよかったので絶対取り入れる。当時、入院期間に当たって歌舞伎だけ観に行けなかったことが今も無念でならないくらい。
自力で着物を着れんかったのちょっと残念やったな、と成人式の時に思ったので、着付けの特別授業も。卒業式、同級生で着付けしあって、自分ですいた紙で卒業証書を作れたら……後々語れる。人生話のネタはいくらあってもいい。
子どもの頃から触れる機会があったら、こういう仕事で生きていくすべもあるのか、と選択肢が増えたんじゃないかなと思うねんけど……甘いかなぁ。
そうすると体育は武道か。柔道は中学の授業でやったけど、あれはなかなか厳しかった。同じ「道」なら弓道がよかったな(袴着たかっただけやん)。
小学生の頃、地元の大企業の工場見学に行ったけど、そういうとこも行った上で、さらに町工場、中小零細企業の工場見学にも行きたかった。両方行ってモノづくりのリレーがわかると思うんだな。
あと農業実習。米やな、米作ろう。米は必修。給食の米作ろう。
野菜や家畜は部活動であってもいいかも。文化祭で売ろう。加工品にして売ろう(突然の浪花の商人魂)。
そうそう、授業でやってほしかったグランプリは税金と年金のあれこれ。社会に出て突然「住民税」だの「相続税」だの「国民年金」だの「厚生年金」だの言われてもわからへんがな! 生きていくうえで常に付きまとうのに未だによくわからへんことだらけ。年末調整の時期が憂鬱やで(私だけ?)。社会科の授業でやってほしかったな。
そうや、高校の隣が病院やってんけど、体育祭の時、入院患者さんや看護師さんが窓越しに観戦してたのが今もなんか覚えてて。学校建てるなら病院や介護施設の隣がいいかもな。わちゃわちゃ元気にやってるところを見てもらえたら元気おすそ分けできるよね。あの時がそうだったと今も信じてる。
授業は広く浅くいろんなことをやって、不得意ばかりにとらわれないように、得意に出逢うチャンスがたくさんある学校がいいなって。
得意に出逢えたらあとは勝手に各々で勉強するしすればいい。サポートは手厚く。
出逢いはたくさんあった方がいい。出逢いは人生をゆたかにするし、道を拓く力をくれる。よくない出逢いもあるかもしれないけど、それを乗り越えるのも出逢いだと思う。
まぁ、なんかおもしろいことやってる学校って思われたらいいな。うん。
学びの場を用意することで生まれる可能性
これは制度上の問題とかガン無視やけど(あくまで私の妄想の話なので)、世界の紛争地の子どもを留学生として招きたい。
ずっと思っていることがあって。家が貧しいから進学を放棄せざるを得ないというのがどうにもおかしいなと。いつの時代の話だよ、もう令和だぜって思う。
めちゃくちゃ才能あって学ぶ意欲もあるのに、お金がないからという一点で向上の機会を手放すなんて、その人にとって大きな損失であるばかりか、社会にとっても大損失じゃないですか?
もしその人が学んで将来すんごい学者とか発明家とか技術屋さんになったら、すんごいことが起こるかもしれないのに、そのチャンスをつぶしてるわけですから。もったいないオバケが出ますよ。あ、もう出てるか。
いろんな国のいろんな事情を抱えた子どもが集まる学校。多様性を体感して学ぶにはいい環境だと思うな。妄想やから自画自賛しちゃう。
たとえ貧しくともなんでもかんでも無料というのは個人的にいかがなものかと思うので(無料でできるモノは何一つないし、無料で手に入れるとそこに責任が伴わなくなる気がするので)、学校内バイトでもしてもらって1円でも授業料や給食費は払ってもらう。
あとは世界中の大富豪に営業かけてお金集めて、貧しいけど向上心のある学生を集める。貧困の負のループを断ち切らせる。
たくさんの宝石を買うのもいいと思いますが、もしよかったら、ふたつ買うところをひとつにして、もうひとつ買う分のお金で、ひとりの子どもを学校に通わせてみませんか? もしかしたらすごい宝石が生まれるかもしれませんよ。原石って魅力的じゃないですか?
う~ん、営業トークとしては弱いな。営業ムズカシイネ。
理想は高く、夢は大きく。妄想だから
学校で働く人は先生以外だとどんな人がいたらいいのかな? というのも妄想する。仕事がなくて孤独な人が、学校という大勢の人が集まる場で働けたらいいんじゃないかなと思ったりもするので。
図書館司書さん、給食調理員さん、心理カウンセラーさん、清掃員さん(掃除は子どももするけど)、警備員さん、スクールバスの運転手さん……。私が妄想できたのはこれくらい。ほかにもあるかな。
図書館は優秀な司書さんを正規で雇って、ガンガン充実させたい。雑誌のバックナンバーをジャンジャン揃えたい。昔、仕事で大宅壮一文庫で調べものした時に思った。雑誌って歴史書でもあるなって。ま、自分が読みたいだけやけどね!
子どもの頃、気づけなかったことがたくさんあったせいで、きっといろんな人を傷つけた。今もそうかもしれない。私がこんな妄想を昼夜繰り広げるのは、そういう後悔のようなものがあるからかもしれない。
自分のモノサシで他人をはかってはいけないと妄想学校で学んだ。
おっと、夕飯の号令が聞こえる。今日の妄想はここまで。
妄想できるって、それだけ時間があって、こころにゆとりがあるからできるもんやね。
モノとしての財産は盗難の危険があるけど、脳内の財産は盗まれる心配がないもんね。ようさん学んで脳みそいっぱい蓄えて、それを生きていくことに上手に使える人が増えて、そういう人が尊敬される社会になっていけばいいのにね。学びたい気持ちに応える場が、少しでも増えたらいいね。
でもこれでお金があったらもっとゆたかやろなぁとは思てまうね(笑)