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ストレスで記憶を失う

映画評論を仕事にしつつ、じつはあまり自信がないまま書き続けている。同じ映画一本とっても、映画評を生業にしていない一般のかたの方が、よほど深い知識を持っていたりするので、誰よりも詳しいものなどないだろうと思っている。過去には(こんな程度のことじゃダメだ!)と思いつめることも度々あったが、もう年齢も折り返し地点を過ぎたし、新しいことを覚えるパルスがもはやチカチカしていない気がするので、とりあえず感じて、分析できたことを記すだけだ。

実生活で兄の借金を残した突然死や、母の認知症と遠距離介護で精神的に追い詰められていたときは、映画をしっかりと観た記憶がない。わたしは精神的ストレスで記憶が飛びやすいほうで、イヤなことがあると無意識に記憶を消してしまう。なので母の遠距離介護をしていたときに、自分がどうやって仕事をしていたか思い出せない。感動した映画や、感心した映画のタイトルが出てこないのは、映画をただ目で追っていただけで内容が頭に入っていなかった証拠なので、打ち捨てた数年が勿体なくて悲しくなる。持って行き場のない怒りを母にぶつけたくなるが、死んでしまった相手には文句が言えないのでイライラしたりしてしまう。

ストレスで心が死んでいた間の記憶はないままだが、最近、ようやく映画を観て泣くことが増えてきた。以前は涙腺が緩かったので、良い映画に出くわすと泣いていたから、精神的ストレスも治まって、映画に集中できるようになってきたみたいだ。そのことに心底ホッとしている。

回復してから一番泣いたのは『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』だった。意外に思われるようだけれど、ホアキン演じるアーサーが、あまりに可哀想ではないか。童貞喪失の相手に惚れて、一緒にダンスに歌にとミュージカルの幸せな時間を過ごしていたのに、勝手に世間に祀りあげられたジョーカーの立場から降りると、すぐさま振られた上に最悪なラストカットを迎える。倒れる時に勢いあまってドガッと跳ね返るくらい壁に頭をぶつける、ホアキンのいたたまれない演技。自分の意志じゃないことだけがアーサーをどんどん動かしていて、可哀想で泣けて泣けてしょうがなかった。



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