子ども達にとって「楽しい学校」をつくりたい 25年間の教職員生活の中で、常に考えていたのは、子ども達にとって「楽しい学校」をつくっていきたいということでした。 そのために、一番意識していたのは、学級を安心安全な場所にするということでした。ありのままの自分を受け入れてもらえるように、短所よりも長所に目を向けて、関わり合っていくことでした。相互に頑張っている姿や成長しているところを共有する活動を継続していくことで、みんなで成長していける学級づくりに努めていました。「失敗しても笑
小学校教諭は、子どもの頃から夢見た職業でした。7年間の講師を経験し、採用倍率14.8倍(2024年度は、1.5倍)という難関を突破し、やっと合格できた小学校教諭でした。安定した職業であり、続けていれば生活に困ることはなかったでしょう。 そんな小学校教諭を辞めた理由を紹介していきます。 父と母との死別 中学校教諭をしていた父は、子どもの頃、朝起きた時には学校へ行っていて、夕飯を食べ終わる頃に帰ってきていたと記憶しています。学校が荒れていた時代なので、夜遅くに帰ってくること
初投稿です。 令和6年3月31日をもって、25年間の教職員生活に終止符を打ちました。 理由は、公立学校の限界を感じたから・・・ 学校は、「子ども達が楽しく学び合い、成長していくところ」 そのために、教員生活の晩年には、 ○ 一人一人の良さを認め合い、安心して活動できる学級づくり ⇩ 失敗しても、頑張りを認め合える関係づくり ○ 失敗を恐れず、チャレンジできる子の育成 ⇩ 失敗から学び、自分で考えて行動できる力の育成 ○ 自分の考えや思いをアウトプッ