文書が書けなくなった。視野が広がっている。
深夜、仕事が終わってから、気が狂ったようにはてなブログやTwitterに思ったことを書き留めていた頃が懐かしい。
私は今、文書が書けないタイミングだと思う。もしかしたら、この後またnoteにバンバン書き出すかもしれないけど、インターネット活動3~4年目にして、踊り場にいる感じを初めて味わっている。
半年くらい前までは、わたしのこと、知って!聞いて!という気持ちで、日々、小さな出来事も、発見があると、なんでも文書にしたかった。
最近は思いついたストーリーをもうひとりの自分が「でもさ、こういう場合もあるでしょ?」と論破してくる。
文書を書けるほうが、リアクションももらえるし面白いので、また書けるようになりたいと思いつつ、一方で、色んな視点で自分の考えを見る視点が広がったんだな。とも思う。
時と場合と時代によって、同じ環境に居る人でも「当たり前だ!」「こうあるべき!」と言う内容は全然違ったものになる。
色んな人の気持ちに成り代わって物事を見るクセがついてきたら、黒か、白か。なんてはっきりと言えるものがこの世には無いという結論にもうすぐゴールしそう。
視野が広がる嬉しさとともに、思いをカタチにすることが難しくなってしまった苦しさが襲ってきている感じです。
ハッピーなことに、視野の広い人かっこいい人が身の回りに増えた。
だから面白がって観察してるのだが、視野が広い人は、公の場で口数が少ない。
それは、正論で周りを動かすことに意味を見いだしていないとか、結果を出すために、自分の意見をムヤミに主張しない戦略でもあると、理解できはじめてきた。
そういう人に憧れを抱くほど、自分の主張をシェアすることに抵抗が出始めてきたのだ。
でもな、自分の中の、謎の確固たる意見みたいなのは、変わりなくちゃんと存在する。
そして、文書は、書けた方が人生面白いし、人の考えを知ることも面白いのは変わりないんだよなー。これは、今も昔も変わらない私の事実。
この事実を大事にしたい。
ということで、諦めずに、文章を書くことについては、向き合っていきたいと思っています!
将来は、小さな連載を数本抱えているおばあちゃんになりたいです。