思い込みの力はオトナになると主観的でやっかいと思われたりするが、夢を叶えるためにはとても大事な力だと思う。
岐阜の田舎から名古屋の予備校で一浪して多摩美術大学にいった。
東京の私立美大は学費も高く、当時は倍率も20倍くらいあった。努力も必要だが、経済面や運みたいなものも必要になる。(ちなみに我が家は全然お金持ちではないので、お金の面は親がものすごく頑張ってくれた。)
美大に行く人がすごいのは、絵が上手いとか、比較的経済力のある家柄だから。とか、いろんな理由はあると思うけど、大人になって思うのは、思い込みの力がつよすぎってこと。
大人になって、自分のことを、なんて思い込み野郎の役立たずなんだと思うときもたくさんある。
けど、わたしの人生、予想外にドリブンするためには思い込みの力がかなり必要!だからヒヨるなよ!てめえ美大行きたいっていったとき、かなりの思い込み野郎だったぞ!と言うことを刻んでおくために、美大進学までの思い込み力のみの道のりをメモしておく。
美大には努力と関係ない二つのハードルがある。
父親が地方公務員。母親が自営業。地方で普通科に通っていた当時の私が東京の私立美大に通うには、大きく二つのハードルがあった。
ひとつはお金である。これは私だけではなく親を巻き込む。だいたい私立の美大に通うには4年間で1000万円がかかると言われている。
もうひとつは、義務教育で習得できないデッサンや色彩構成といった実技関連のスキルを身に着ける術である。美術科などに通っていたわけではないので、イチからこの技術を習得する必要がある。
私くらいの一般家庭で育っている人(「金」がハードルになる人・選択肢として検討したが何らかの理由で行けなかった人・また行った人)がよく美大卒とか専門卒という議題を繰り広げているが、美大に行くとなると、努力だけでは埋められないこともある、お金とスキル習得(手段と時間?)問題が発生する。
頑張ってるから行けて、頑張っていないから行けない。という単純な図式ではないため、その議論からはいつもさっさと離れてる。
そう。私は本当の本当に、努力の塊とかではない。ここからはいかに思い込みだけで美大受験を突っ走ったかメモしていく。
10代の頃、思い込み以外で美大進学について親と議論することは難しかった。
10代の受験生とその親が「美大に通うのが適切か」議論して決めるのは難しい。なぜなら医大のように、多額の学費を支払えば「将来その支払った額が取り戻せるくらい稼げる」というわかりやすい保証がないからだ。
私も散々親から「どこそこの子供さんは美大を出た後、結局地元に戻って実家を継いだらしい。美大に行かなくても好きなことはできる。」という話を受験中に聞かされた。(ちなみに現在は、美大に行って良かったねえ〜と言い、在学中は学祭などに嬉々として顔を出しに来てくれた。)
では当時、私がどんな心持ちで美大を目指してたかというと、「東京に絶対出る!!!行くなら、かっこいい多摩美か、バンタンデザイン研究所がいい!」という程度だったというのが本音である。
ロジカルのかけらもない!!!
ありとあらゆる美大のオープンキャンパスに行ったとか、自分の親の収入を調べて、その範囲で賄える美大とコースをピックアップした。とか、建設的に検討した記憶はひとつもない。
バンタンデザイン研究所は、当時愛読していたzipperやcutieといったファッション雑誌に頻繁に広告を掲載しており、それはそれは、地方の小娘が想像できないおしゃれな、矢沢あいの漫画に出てくるようなキャンパスライフを送っているのだろうという憧れがあった。
多摩美術大学は、高校生のころやっと通い出した名古屋の予備校で、「みんなだいたい多摩美か武蔵美を目指してて、とてもイケてるらしい。」という情報だけだった。当時、春休みや夏休みに名古屋のホテルに泊まって毎日デッサンをするような講習に通っていた私は、「美大を目指す」というおしゃれな空気を少しだけ味わって、酔っていた。
そんな感じで、対して多摩美のことすらろくに調べもせず、「倍率の低い滑り止めに受かって、そこで4年間過ごすなんて、私は許せない!」という思い込みが強くあったので、滑り止めは受けず多摩美も武蔵美も全滅するという現役の受験生活を終えた。
親を「ふて寝」で説得する。
その後、「この後どう生きるか」という話し合いを親としたのだが、その時も私の手法はとてもガキんちょで、「一晩泣き喚いてふて寝する」というものだった。
一度も怒ったことのない父親が声をあらげて「お金のことを考えているのか」と軽く大声を出した時、体がビクッとなって、涙が出た。そのあとは何を言われても泣いて、お願いして、怒って、謝って(書いててすごく子供だしこんな子供いやだ…)最終的に「どうにもならないならこのまま地元で働くからいい!」という、なんの目標達成もしない結論を捨て台詞で吐いて、自分の部屋に行き、布団をかぶって泣いた。
泣いている途中、泣くことに疲れた(覚えている)もう一人の自分が「もう誰も見てないし泣くのやめたら疲れたわ〜」と囁いてくるので、いつ泣くのをやめようか迷うくらいには、泣いた。
翌朝、ふてくされたまま高校に行き、「ああみんな進路も決まって楽しそう。私はやりたいことがあるのに、自分の関係ないところ(金)でその道を閉ざされている悲しい女の子…」という悲劇のヒロインごっこをしていたところ、母親から「すごく行きたいってことがわかったから、もういいから。」というメールが届いた。多分私が泣いたりふてくされたりしている間に、両親共々、通帳と相談して予備校行きを承諾してくれたようだった。
しつこいけど、うちは本当に「お金持ち」の生まれではない。東京生まれ・東京育ちの友人にGoogleMapで自宅を見せると多少(ボロさに)ビビる程度の家で育っている。
美大に進む一歩は、強い意思や思想はなかった。親の甘さ(感謝)と自分の思い込みの強さと、親も私も建設的な議論をしたことがない状況が揃っただけなのだった。
しかし予備校で「思い込みも努力もどんなに頑張っても結果と結び付くとは限らない」というリアルも知った気がする。
その後、名古屋で一人暮らしをしながら予備校に1年通って無事多摩美術大学に合格した。もちろんデッサンは毎日頑張って描いたし、多摩美じゃないとダメなんだ!という思い込みも続いていた。だけど、予備校では上には上がいて、多摩美に受かって通っているけど、どうしても藝大(東京藝大)に通いたいと言うカゲロウ(大学生ながら、影で浪人している人)や、親の援助が見込めないことから、アルバイトを死ぬほどやりつつ絵に向かって猛進している人とか、いろんな人がたくさんいた。さらに、自分とは比べ物にならないくらい、お金持ちの人もいた。
いろんな人種が入り混じって同じ石膏像を描いてる状況は、不思議だったし33年生きててめちゃ面白い世界だった気がする。お金持ちでも、絵が上手くても、誰にも、将来の保証はないのに、なぜかデッサンに死ぬ気で向かっている人が集まってる。でもみんな真剣だった。
結果、受験が終わると「あの人が受からなくて誰が受かるの…!」と言う人が落ちていたり、現役生が倍率の高い美大に沢山受かって、どこに行こうか迷ったりしていた。私自身も、秋頃までやばいくらいの下手くそさだった自覚があるので、受かったことに拍子抜けしていた。
思い込みの強さや努力と結果は結びつかないことを一番リアルに目の当たりにしたのも、社会人以上にこの時期だった気がする。努力や勤勉さと結果が結びつかない現実みたいなのは美大受験で結構思い知った。
思い込みで美大に行った結果、良かったこと・悪かったこと。
そうして多摩美に行った結果、美術ラブで美術に真剣に向き合う友達と受け取るものの多い時期を過ごせたのは本当に良かった。
思い込みのデメリットとして、私の性格が、大人数スタイルに合っていなかった。(集団行動が苦手だった。)公立の人数が少ない、アットホームな環境を自分の性格と照らし合わせて選べば、もっと授業を楽しめたなあ〜と思う。こんなこと、すぐにわかりそうなのだが、これが思い込みの怖いところである。(授業自体は今の自分が受けようとしても絶対に受けられない著名な講師の講義や、面白い授業がたくさんあった。すべては自分の気持ち次第ですねえ。)
お金のこと。
お金の面は、たくさん両親の援助を受けた。私自身は、奨学金を第1種(無利子のやつ)と第2種(利子のあるやつ)の2種類、ほぼMAX額で借りて現在返済中である。
新卒の頃は、初任給手取り15万程度だったので、こっそり会社に行く前の朝と、会社が終わった後の夜、サンドイッチ屋さんとコンビニでアルバイトをしていた。大変だったけど、絶望するほどの辛さを精神的に抱えてはいなかったので、奨学金に対しては感謝が大きい。(たまに払い忘れてひぃってなる)
大人になると「思い込み=悪」ってシーンが多いけど、私には必要だと思い返したので、メモしておく。
10年前の受験の話をなんでメモしたかというと、仕事で思い込みってめちゃくちゃ邪魔な時があって。思い込みは、第三者に速攻論破されるし、なんなら自分自身も、昔より思い込みを論破する力が備わってきている。だから思い込みすんなや自分〜〜〜〜!!!!!という機会が結構あるのだ。最近。
ふて寝した我が子を慰める親くらいでないと、思い込みだけでは説得できないし、論理性も全くない。
でもどうしても否定しきれない自分がいる。自分の人生において、美大に行くというめちゃ大きな思い込みは、すごく大きく人生を変えた出来事で面白かったんだよな〜。「人生で予想外の結果が出たり、面白かった出来事」をピックアップした結果、一番デカかったのが思い込みだけで突っ走って多摩美に行ったこと。だった。
美大に行って出せた結果としては、美術やデザイン・アートに真摯な友人と居場所ができたこと。デザインによる対価で生き、またそのお金を別の物作りに活かせられていること。私はきっと思い込みと相性のいい性格なんだと思う。
思い込みだけでは失敗することも学んだ。
それと、前述で「思い込みと結果は結びつかない」と言ったけれど、思い込みで決めたことに対して、サンクコストなどを省みずに、自分の腹落ちするところまではマイペースにやり続ける性格が、多少なりとも結果に繋がったと思う。
デッサンに飽きたり嫌になることはなくて、途中から合否関係なく「リアルに描ける人がいるのに描けない自分がめちゃくちゃ悔しい。」となって描いてたし、モチベーションが続く方だとも思う。
逆に、一度決めたら勘所が悪くても続けてしまうタイプなので、あまりにも不向きなことは、思い込んで突っ走る前にとどまることは忘れないようにしたい。多摩美の素晴らしさと、そんな素晴らしい多摩美で思うように学べなかった心残りもある経験からである。潰せるところは潰しておきたい。
思い込みを否定しない。起爆剤にうまく使う。
自分の人生だから、思い込みで動いた時に、自分で責任をとれる部分も大きい。あんまり思い込みを嫌わずに、予想外の面白いことが起きる起爆剤に使っていきたいと思う。そんなことを考えたのでメモでした。
将来は、小さな連載を数本抱えているおばあちゃんになりたいです。