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共感の暴走
『五輪や万博、盛り上がるフリ 内田樹「共感が暴走」危惧』
朝日新聞記事 2019年1月4日
聞き手・山崎聡
https://digital.asahi.com/articles/ASLDM3SFHLDMPTFC007.html
こんなこと書いたら、「面倒くさいヤツ」「偉そうなヤツ」と思われるのは想像に難くありません。ましてや、まさにこの現象にあふれているSNS上で。
でも、いつも考えるんです。
何か書くと、たいてい誰か賛同してくれる。応援してくれる。
「そうだそうだ。正しい。本当にそうだよね。私もそう思う。」
それらは確かにとっても嬉しいのですが、実際のわたしは常に正しい人間ではないし、尊大でもない。
必要以上に装ったり卑下したりせず、シンプルに等身大がいいなぁと思うのだけれど、投稿とコメントと、実際の自分がなんだか噛み合っていないような感覚が常にあるんです。ふわふわ浮いていて、地に足がついていない、というか。
かくいうわたしも、格好つけた写真にキャプションひねるし、すごいすごいキレイカワイイ言うんですけど。いちおう本心で。
「ことあればシェア」にも疲れてしまう。
あまりに嬉しかったこと、あまりに大切な時間は、不特定多数の人たちにシェアするなんて、もったいなくてできない。相手との、仲間との、または自分ひとりの、神聖ともいえる空間が、ありふれた俗世間的なものになってしまいそうで。
「誰でもいい」の中の誰かに共有するよりも、宛先のある「誰か」。
もしそうでないなら、自分で大切にもっておきたいと思うことのほうが多いかな。わたしは。
みなさんは、どう思っていますか。
「SNSは自己プロデュース」と割り切るのが正解?
こんな人はSNSなんぞはなから関わらないのが正解?(三理ぐらいある)