あなたと、あなと
気づいたらなくなっていることはこれまでも多くあった。恋仲や大親友、人だけでなく物も同様だ。
その時は常に穴が空いている感覚に陥る。虚無感というのが正しいかもしれない。このような気持ちを毎回感じないようにするためにはどうしたらいいのか。
いくつかの記事を眺めてみると、期待しないことというのが多く描かれていた。
いつからだろうか、サンタさんを信じなくなったのは。金銭的に豊かというわけではないが、誕生日やクリスマスには、1万円には届かないくらいのプレゼントを貰えてたと思う。幼少期のあるとき、心で念じていればサンタさんがプレゼントをくれるとのことを耳にした。親へ伝えたものと心に秘めていたものは全く異なっていたが、信じ続けた。
プレゼントは意に反したものだった。明日になったらきっとちゃんとしたプレゼントがあるはず。強く考えていた。そんなことは起こらず、サンタとは何かということを理解した。今になって考えると、ある程度娯楽に寄ったプレゼントを毎年もらえることを考えると、比較的恵まれていたと思うが、現実を知らない幼少の子供には関係なく、この世の終わりをも感じさせていた。
このように、期待しなくなることも多くなる。最近の私の心に穴を開けるのは専ら対人関係だ。どのような人に限らず、私に対して強い関心を持って接してくれる人は等しく依存してしまう。こんな私に、こんなに興味を持ってくれるなんて、と思うのだ。ただ、私の振る舞いが良くないのか、長くて2年、短くて半年ほどの関係で終わってしまう。私から遠ざけていたつもりはなく、相手が連絡不精になったり、距離をおきたいような連絡を受けるのだ。その理由が私そのものであれば今後に生かせるが、そうは言わない。連絡をした人が自分自身に問題を抱えていたり、その人の周りから影響を受けたりと、その原因になるのは第三者の存在だ。ただ、私がそれを明確に把握しているわけではないため、事実とは異なるかもしれない。
私としては、それを「信じて期待する」ことしかできない。だが毎回のように、この期待をすることで、苦しみの奥深くに落ち込んでいく。いつかまた連絡が、いつか一緒にお出かけに、などと期待を込めしばらく距離を置く。
明日は連絡来るかな、来週は連絡あるかな、来月は、来年は。気づけば私の記憶も風化する。一番心にくるのは、数カ月間だろうか。期待し続ける中で、求めていることが起こるのではないかという強い気持ちが、勝手に裏切られたと錯覚する。相手は悪くないのに、私は、この人に裏切られたんだ。非常に身勝手な発想だが、勝手に思い描き想像が期待度合いを高まらせ、実体と異なったとき、未来への落胆となる。
簡単な話、期待しなければいいだけだが、そんなに簡単ではない。私の場合は、連絡を無視したことにならないか、次連絡があったとき私の関心がなくなってないか、期待してないと思われたらそれは悲しい思いをしないか。一番は最後だろう。私の気持ちの変化が、相手に消極的な印象や気持ちにしてしまうかもしれない。
相手から遠ざけて来たにも関わらず、私がなにかすると相手が嫌がるかもと想像する。優し過ぎるのかと思っても、それは違う。ただ、他人への依存度が高いだけだ。
他者への依存をなくすためには、誰とも関わらず、関心を持たず、孤独に生きるべきなのだろうか。