いつも少し何かが

いくつになっても、私たしはカフェに行ったり、外食をしたりと二人で外に出かけることがある。
冷めきった夫婦生活の知人から見ると、羨ましい光景と思われるが、気持ちとしては、惰性が半分、暇つぶしが半分というところだろうか。
しかし、今思えば、このように同じ時間を暇つぶしだったとしても過ごすことのできる相手は、稀なのかもしれない。その点は互いに感謝すべきところかもしれない。
幸せの種類にもたくさんあり、日頃から外出するため、互いに誕生日の贈り物などを壮大に扱うということはない。些細な贈り物や安価な贈り物、ただ、それで互いに文句を言い合うこともない。個人的には、そんな関係性のほうが楽だと感じる。若者のように、定期的な記念日などを催したとて、来年はどうするのか、いつまで続けるのか、とそればかり脳裏をよぎる。
人によっては、そのような関係性も幸せであり、ともに生き続けたいと考えるかもしれないが、私達はそうではなかった。
ちょっとだけ外出して、その帰りに少しだけ高価な飲み物にお金を払って、ひとときを過ごす。
私は、無動のアールグレイを、相手は多めのホイップにキャラメルソースのかかった飲み物だ。店員さんもよく困惑する。飲み物が見た目と反して、この甘そうなのが私ではなく相手なのだから、一応そのもまま受取はするものの、テーブルにつくと、互いに飲み物を交換する。
これくらいの違いで怒鳴ることも怒ることもなく、些細な面白さとして記憶する。そして、更に相手は、このホイップを先に、つまむ。飲み物として飲むのではなく、ストローの先でホイップを絡め取り、ペロペロと舐めるのだ。決して、行儀の良いことではないが、ここはアフターヌーンティーを提供しているドレスコードのあるようなお店ではないので、ある程度は許容できるし、私もそのようなマナーで目くじらを立てることもない。
ただ、一つ気になるとしたら、眼の前で一人一生懸命勉強している若者にくすっと笑われてしまうことだろうか。わかるよ、若者。私もこの食べ方は気になる。おかしさついでに話しかけてくれても良いんだよ。
二人でカフェに寄ったからと、若者のように賑やかに話すわけでもなく、年相応にじっくりと時間を過ごすだけだ。飲み方が年相応ではないといういのはわかっているが、昔のような、若干入店しにくい純喫茶のようなものではなく、よりカジュアルなカフェが多くなったのは嬉しい限りだ。
あとどれくらいの期間、このような日常を過ごせるかわからないし、死んでないだけのこの老体として、いつまで幸せを享受できるかわからないが、限りあるだけ、最大限にともに歩んでいけることを願っている。

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