つきそうでつかない蛍光灯のように

政治なども含めて、個人的にはより社会的実験を行うべきだと考えている。もちろん、私自身が被害者にならない前提ではあるが、世の中、何が正解で何が不正解かなんて、分からない。加えて、増えすぎた人に対して、共通理解と全会一致をもって物事を遂行し、実現することなど、不可能だろう。ひとつ屋根の下、一週間の大部分をともに過ごす、仕事を行う同僚の中でも、最終的にな着地には誰しもが恩恵を受けると自明のものであるにも関わらず、それを否定する管理職、意見ではなく否定のみを並べる役員、それらの大きな子供のような管理職や役員のために、我々は根回しというカロリーを無駄に消費する無価値の行動を強いられているわけだ。
このように、この国家を支える政治だったとしても、例に漏れず、無意味な議論に、誰も幸せにならない決定などで、仕事をした気分でいる。誰かが何かを変えたいといえば、前例がないことや、責任の所在を確認する。皆がよくなるのであれば、全員で責任を負えばよかろう。それ以前に、問題を引き起こしたとしてもそれを解消せずに立場を退くほうが、責任感がないと言えるのではなかろうか。私がここで述べたいのは、政治の運用方法についての批評ではないため、話を本筋に戻そう。
このように、人が増えすぎたこの世の中では、何かをしようとしても、その中の誰か一人が声たかだかに全員の意見として反旗を翻す。結果、大多数に益をもたらすことであっても、遂行はできない。現代の人という生き物は、皮肉にも他人の幸せを許せず、自身の立場が弱い場合は、自身以外の全体を引きずり下ろすことに努力を傾ける。立場を高めるための努力をしたとて、他の誰かとの立場が入れ替わるだけともいえるし、全体として、必ず、底辺の存在が確約されているのだ。毎日、生産的な仕事をしてなくても毎月数十万、1年間に数千万と給与を手にする人がいる反面、学や努力を怠れば、ありつける仕事も危険を伴ったり、衛生的に適切ではないこともある。ただ、それは、肯定すべき事実であり、受け入れなければならないことだ。その中で、方や得する政策、方や負担を強いる政策、それは当然の事となる。
人が役割や自身の状況に応じて、労働対価を得ている現状において、それは、大人数での環境において、より明確に、そして幅広く格差が顕著に現れる。簡単な話、この大規模な集団をより小さな規模に集約することが前提として必要に思える。そうすれば、各集団に合致した政策が行えるわけだ。昨今の政治家が寝言のように言っているような政策を批判するものもあれば、肯定するものもある。ただ、そのどちらであれ、国家に対して不利益となったものもある。国という単位で、それぞれの地域を統括することは不可能だろう。
国という規模について、ひとまず横に置き、その集団的な構造から感じたことと提案を述べたい。現在多くの国家で採用されているのが資本主義だ。これは現代でも最低な方法だったと言われることもあるが、資本主義以外のこれまで登場した思想を除けば、という言葉がついてくる。たとえば、先程の大規模な集団における格差をなくすために手っ取り早いのは、共産主義的思想だ。ただこれだと、国民一人ひとりに役割があてがわれ、どれだけ労働で苦労しても、得られる対価は一定であることが多い。もちろん、国の構造によっては、成果次第で特別な報奨が与えられることもあるだろう。ただ、本質的には、皆平たく同一であり、国民という名札の貼られた人である。資本主義も比べると問題点はいくつもある。資本に比例した人々の価値が生まれによって変動する。生まれが良ければ最高の教育を意識せずに受けられ、生まれが悪ければ、自らの力で誰にも頼ることなく勉学に励むことが資本主義での格差が浮き彫りになってしまう理由だろう。ちなみに個人的には人の容姿も資本主義の生まれによって損得が発生すると考えている。
違いはともかく、資本主義や共産主義など、様々な政治的思想が登場し、すでに大規模な社会実験が行われてきたと言っても過言ではないだろう。今の状況が、実験ではないと言い切れる人が居るならば、一報いただきたい。

現代における問題点や改善策をここで披露したところで、誰にも届かない上に、それを実行する人はいないため、私の考える理想郷をここにて披露しよう。
まずは、国家の役割を明確に分離しよう。国家とは、その国に属する国民を幸福にする義務があり、大多数の国民を幸福にするために一定の負担を国民に課すことができる。ただし、国家として存続し、国家の維持、国家の知識や資産を外部に流出させない、という機能とし、加えて、国家を運営する組織には、防衛関連の戦略組織、実働部隊を直属で配置する。この戦略組織や実働部隊は、所謂軍と同等の組織だが、国家直下でありながら、自発的行動を可能とする。最後に、国家は国民の全体の一意性の担保を行う。指紋、血液、人相、系譜の全てにおいて、その国民が何者であるかを確実に管理する。日本でも個人番号の付与が行われて暫く経つが、それを個人の監視と批判する人の気がしれない。もし、自身に何かあったとき、身元不明の人間として処分されるか、何者であったかを的確に判断してもらえるかで、全く気持ちが異なると思う。どちらにしても、犯罪などが起きれば、確実に犯罪者本人を追跡することができるため、個人の意見としては、数メートルおきに該当カメラを設置してほしいくらいだ。
ひとまず国家という存在について明確にした。本来は、それ以外に経済や商工業、教育に関する下部組織が国家というものに紐づくが、この世界観では属さない。
次に、不作の大地である区画を国土からいくつか選定する。選定した土地には、侵入者を拒むことのできる壁などセキュリティには万全を期す。選ばれた土地には、それぞれの管理組織を配置する。国土全体の経済を監視、維持するための組織(仮に経済監督局)、食品産出および衛生を補う管理局、教育および立法の管理局。ひとまず最低限必要な組織を作るが、国土面積によっては、これを重複して設営する。例えば、日本では、環境差の著しい縦長の国土であるため、最北、北東、中央、南西、最南と5箇所ほど儲けるといいかもしれない。それぞれの土地に設営された組織は、どれもがそれぞれの土地における範囲を管掌している。一定の範囲に区切られた状態となる。
政治的な組織の説明はあまり面白くないので、ひとまずここまでとし、問題は人間が住むための環境だ。
まずは山間部や自然災害の多い土地からの全国民撤収だ。加えて、各土地にて人口集中が行われていたため、世帯当たりの抽選を行い、人口密度の再分配を行う。もちろん、国家の下部組織に類する国民は、それぞれ組織があてがわれた土地へ行くことになる。国民全体を通して、無意味に都心部へのあこがれをいただき、無意味に時間を浪費している。都会に行ったからなんだというのだ。都会に居る自分に惚れているだけだ。そんな思想は許さない。各地域において、国民が自身の意思で他の地域への転居を行うことは許さない。訪問は許されるが、半年ごとに1週間までとする。このように、特定の土地に特定の国民を紐づけ、異動の制約を行う。その地域においての職業の自由は与えられているが、義務教育が終了するまでの間に定まらなかった場合は、その地域で不足している職業へ配置される。義務教育後は決められた職種とともに教育機関にてその職業における基礎知識から応用までを習得する。仮にある特定の職業に人気が集中した場合、その能力が最適であるかを前提に素質があるのか試験が行われる。もし希望した職種にはならなかった場合、他に希望した職種になるが、その後も定まらなければ、指示されが職業となる。最初期に定まった職業で一生を負えなければならないわけではなく、特定職種の教育を履修し、希望の職種に欠員が出た場合に限られる。つまり、努力は不可欠になる。
ここまで地域の隔離と職業の均一化を実現した。これをみると、希望しなかった職種やもとより労働したがらない国民も居るだろう。蟻の世界においても一定の割合で働かない蟻がおり、それらは全体を維持するために必要な存在とのことだ。そのため、どの職種においても生産性や成果物の品質の差は一定量無視できるものとするが、明らかに何もしていない場合は、定期的に高確率で選出され居住する地域とは異なる地域へ強制的に移動させる。このとき、同職種において、他地域にて欠員が発生したため一時的に転居させる旨を伝達する。しかし、このとき移動する地域は、国民に開示されていない特別区域となる。

前提の話が長くなったが、ここからが本番だ。
働かなかった人が転居させられる特別区域は、国土内に数か所点在する。この特別区域は、他の地域と異なり社会実験を行うための区域となる。そこに住む国民には、他の地域とは異なる取り組みを行っているという説明に留め、社会実験をしているとは伝えない。
話は変わるが、ここで理想とする国家には死刑制度が存在しない。また懲役刑も長くて3年となる。これは、社会的に寄与する適切な労働力にはならないことが理由である。懲役刑に関しても屋外で運動する時間を設けているものの基本的には、勉学を行う。塀の中の学校だと思えばそのとおりだ。出所したあと、特別区域に居住を命じられるが犯罪を犯したことについては、発言しないことを制約させる。
この特別区域の目的は、犯罪を犯す人や、他とは異なる行動を起こす人などを一箇所に集め、どのような変化が起きるかを観測するための仕組みだ。犯罪の特に殺人においては、状況にもよるものの快楽などによって殺害することがある。この行動が遺伝的な要因となる可能性を否定できない。そのため、長期的な世代交代を観測し、殺人欲遺伝子の救命を行う。また、それ以外にも様々な犯罪を犯した人を特別区域に滞在させることで、犯罪や社会的な課題など観測を行う。他には、秘密裏に治験を行うのもよいだろう。

世の中には、犯罪者に対する強い否定感情をもつ人がいる。このように他者を強く拒むものも犯罪の可能性があると考えている。例えば、自身の主張を受け入れてもらえなければ癇癪を起こしてしまうような人だろう。これらが遺伝的な要因であることは現代科学でも明確ではない。加えて、明確ではないその内容について、適切に理解を行うことが大切である。このようなことを書くと、とあるとこからは、倫理観の欠如と言われてしまうかもしれない。ただし、人が人として、より幸福に生活を営み、犯罪などの抑止や快適な国家運営を行うためには、このようは一定の倫理的欠如は必要だと考えている。デザイナーズチャイルドなどは若干乱暴な方法に思えるが、全人口を地域に再分配しないにしても、特別区域を設立し、その箱庭の中で課題のある人に生活をしてもらったほうが、生産的であり、社会的意義もあると思う。社会復帰を犯罪者に促すこともあるが、底に住む隣近所は気が気でない。ぞれであれば、犯罪者のお隣さんは犯罪者であったほうが、社会も安心だろう。

勢いに任せて、感情の赴くままに戯言刻んだが、半監視社会のようなものは必要だと考えている。今の国家運営も課題点ばかりしかなく、誰も改善しようともしない。わかりやすい直近の話題だと、外国人観光客だ。様々な国で、異邦人が流れ込み、その国の常識を理解せず現地人と小競り合いに発展する。本当に異国へ訪問したいという石があるならば、入国時に数十万円の入国税を支払えるほどの経済力に制限したり、文化の学習期間を設け試験合格しない場合は強制送還されるような仕組み、また、その国家に踏み入れた場合、その国家の処罰に準じ犯罪を犯した場合は、その国家の当局による拘束と判決の履行が行えるべきだと思う。
気軽に海外旅行に行けず、本当に行きたいのであれば、それだけの覚悟を持つべきだという話だ。
テレビや動画での話、SNSでの話、新聞など書籍での話、それぞれがそれぞれ主張し、いい方向に考えている人がいれば、それを批判する人もいる。加えて誰も実行せず、課題に関心を持たない人もいる。このような現代国家とその国民たちが幸せな状況かと言われると、不毛なことが多い現代に対して、私はそうは思わない。

そんなことを考えながら私が国家元首になったほうが、国家がいい方向に進むんだろう、と妄想するのもおめでたい話である。

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鳥生真夏
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