成功かも知れません
長秒露光で撮影しました。
不思議な写真になってしまいました。
どう感じますか?
僕は見た瞬間に失敗だと思ってデータを
削除しようと思ったんです。
撮りたかったのは
こんな感じの写真だからです。
でも最初の写真がどうしても気になって
残しています。
違和感と偶然の中で生まれるチカラを感じたから。
初見で判断したくなる。
目から入ってくる情報は
大きな印象を作っていると感じます。
見た目と今まで生きてきた経験の中で
瞬間的に自分にとって必要か
そうでないかの判断をしています。
でもそこに今までの経験では
判断できない理由があったら
大きな間違いをしてしまいますよね。
偏った判断
自分の判断基準が固まってしまっていると
正しい情報を取り入れられません。
同時に正しい情報自体が認知できていなくても
正しい情報を取り入れることができません。
視力矯正用のメガネの度数があっていないと
情報が歪んでしまって頭が痛くなるみたいな感覚です。
正しいかも知れない
一瞬でも違和感を感じた時って
自分の感覚を信じるようにしています。
上手く表現できないけど
魅力を感じることには
経験してきた以外の
素晴らしいものが輝いています。
経験というフィルター越しに
漏れてくる光を感じているんです。
いつもと違うけど和みを感じているんです。
間違いじゃない
明確に違うものは
ルールに当てはまらないものです。
正しいかも知れないものは
いつもと違うんだけど捉え方を見直せば
ルールに当てはまるものです。
芸術的なものって正解がないですもんね。
表現者の意向と受け取り側の相性で
評価は全然変わってしまいます。
人の特性
健常者や障害者という表現に
いつも違和感を感じながら生きているんですが、
相手の特性を受け取る側では
そうなってしまうのかなって思います。
僕にとって相性の良い人
相性の良くない人
そこに健常者だからとか障害者だからといった
感情はありません。
努力している人か
そうでないのかって感じます。
努力しているけど結果が出にくい人は
僕の中で寄り添いたくなります。
努力できるのにしない人は
相性が良くないなって感じてしまいます。
僕の考え方を嫌う人もいて当然だし
評価してくださる人もいます。
正しいかもって感じることは
人にも当てはまります。
努力が見えにくいけど
努力しているかも知れないって
違和感を感じた時
時間をかけてその人に寄り添ってみます。
努力に僕のチカラが役立って欲しいと思うからです。
あなたの努力に僕のチカラは必要ですか?