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予言と預言と占い

予言と預言と占い

ちょっと妖しいタイトルになりましたが、この辺りを混同している方も多いので、ちゃんと整理してみようと思います。

占いをやっている、と言うと
「何か悪い未来を当てられたら怖い!」
というような事をよく言われます。
でも、それは違います。

占いは予言ではないので、そもそも当てるためのものではないのです。

ちょっと、その違いを見ていきましょう。

まず、予言とは、予め用意されている言葉。
ナウシカで
「その者、青き衣をまといて…」
というアレです。
誰かが、
「やがて、こんな事が起こるよ」
と予知して言い残したもの、或いは神さまから授かった未来。
神さまが「こうなるであろう」と告げた言葉ですね。

もう一つの預言は、預かる言葉。
それはもちろん、神さまから。
「神さまはこうおっしゃってる」
というのが預言で、その言葉を聞いて人々に伝えるのが預言者です。
神さまが預言者となるべき人物を選んで、人々に伝えたい事を伝えさせます。
主には聖書の中で使われる言葉です。

音にすると同じ『よげん』ですが、その意味はちょっと違います。

予言、という言葉は人間の予知能力者が伝える言葉の他に、神さまからの神託を指す場合もあります。

巫女さんなどが神さまを降ろして、その言葉を伝えるものです。
この場合、巫女はトランス状態で話すので
「何て言った?どういう意味?」
という結果になります。
そこで、審神者(さにわ)と呼ばれる人達が存在します。
「こんな神さまが降りて来てこんな事を言った。こういう意味です」
と判定する役職の人です。
この場合、某ゲームのプレイヤーではありません。

日本でも行われていましたが、世界的に有名なのは古代ギリシアのデルフォイのアポロン神殿のものです。
ギリシアのデルフォイという場所に、当時のギリシア人なら誰でも知ってるくらいに有名な神殿があったんです。
そこに祀られているアポロンという神さまは未来を見通す力があるとされ、人々はこぞってその神託を受けたいと望みました。

神殿の中にはガスが噴出する場所があって、そのガスを吸った巫女がトランス状態で予言をした、との事ですが。
ここでは詳しく書きません。

興味がある方は、調べてみてください。
検索をすればすぐに出てくる内容です。

とにかく、このデルフォイでの神託は有名で、色々な逸話が伝わっています。

オイディプス王という名前を聞いたことがありますか?
お芝居にもなってる有名人ですが、この神託に翻弄された人物です。

彼はテーバイという所の王子として生まれますが、息子に殺される、との神託を受けた父王に捨てられます。
その時に、歩けないように、とか目印に、とか言われていますが、足をピンで刺されます。
でも、捨てるように言われた人物は、捨てるのが忍びず、羊飼いに預けます。
その羊飼いが、子供のないコリントスという国の国王夫妻に子供を預け、ピンで刺された足が腫れていたことから、腫れ足を意味するオイディプスと名付けられます。
彼はコリントス王夫妻を親として、何も知らずに成長します。
やがて成長したオイディプスは「父親を殺し、母親と結婚する」との神託を受けて実の両親と信じているコリントス王夫妻の元を離れます。
旅の途中で出会ったテーバイの王を自分の父親とは知らずに殺し、そしてこれまた何も知らずにテーバイの町をスフィンクスという怪物から救って未亡人となっていた母親を妻としてテーバイの王位に就き、子供まで生まれます。
でも、後に発生した疫病を鎮めるためにはテーバイの前王の殺害者を見つけなければならない、との神託で犯人探しをするうちに真実を知ります。
真実を知った母親は自殺。
オイディプス王も自らの目を潰してしまいます。

このように、神託は必ず実現される、逃れられないものとして伝わっています。
他にも、デルフォイの神殿へは国家の運命を左右するような局面でも神託を伺いに行くレベルのものでしたので、政策や戦争の行方なども神託として下されます。
中には、難しい言葉でなんとでも取れる内容のものもあって、翻弄される人々の話も伝わっています。

どのように紆余曲折しても、最後には神託の通りになるのが結末です。
神さまの言う通り、です。
予言は、成就するものです。

もう一つの「預言」は、神託を受けに行くなどしてこちらから問いかけた事に対する答えではありません。
神さまの方から、こうせよ、ああせよ、と特定の人物を通じて伝えてきます。
こちらの言葉を使うのは、聖書の中の話しだと考えてもらっていいです。
聖書の神さまが人々に伝えたいことを伝えるために誰かを選んで預言者とし、その人物が
「神さまはこう言ってます」
と伝えて回るのがパターンです。
こちらも神さまの言うことなので、結果はその通りになります。
また、イスラム教では、ムハンマドが最後の預言者とされています。

このように、予言も預言も、どちらも必ず成就されるものであり、人の力では逃れられるものではありません。

でも、占いは違います。

占いは、その占った時点での未来の可能性に過ぎません。
占いの方法によっての差はあるかもしれませんが、
「今のまま行ったらどうなるか?」
「こっちのルートを選んだらどうなるか?」
というのを予測するのが占いです。
ですから、上手くいくと聞いて油断してしまえば失敗するかもしれない。
上手くいかない、と言われても少しでも良い方向へ向かわせる方法はあるかもしれない。
占いを受けた本人がどう考え、どう行動するかで未来は変わって来ます。
その、行動や考え方のアドバイスまでするのが占いだと、私は考えています。

占いというと、
「悪い結果が出たら怖いから」
と敬遠される方もいらっしゃいますが、それは違います。
悪い結果の時にこそ、どうすればいいのかを伝えなければ、お金と時間をかける意味がないでしょう?

神さまからの言葉で変えようのないものが予言や預言であり、占いはただの可能性です。

より良い未来のために、参考にしていただくものです。

タロットカードがひらりと落ちて、そのカードが死神だったりしたら、その人物は死んでしまう。
そういうのは、マンガや映画などの演出に過ぎず、現実にはそのような事はありません。
占いで人の生死はわかりませんし、死神というカードにそんな意味もありません。

安心して占いを受けてみてくださいね。


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