濃密な関係(駄文)

テレフォン人生相談というラジオ番組がありまして、私はまだ聞いたことがないのですがTwitterにてその番組の相談内容を要約して呟いている方がおり、それが面白いので投稿を見つけると読んでいるんですが、視聴者が電話であれやこれやの相談をして弁護士さんや作家さん、カウンセラー、タレントの方々がそれに答えるスタイルの番組のようで中学時代に読んだ本の著者である加藤諦三さんもメインパーソナリティのようで気になっています。(でも生活時間帯の都合でなかなか聞けない)

ちょこちょこ流れてくるそのツイートを読みながら、悩みっていうのはとても自分勝手なものだなと感じつつ、ほとんどの悩みが人との関わりの不調和に関係してるなとも思いました。

人間関係。

人が人と関わるときに何を求めて何を与えようとしているのか、たぶんそれは千差万別なのでしょうが、私の中では好奇心が一番の理由な気がします。
「なんでこんなに横柄なんだろう」
「どうしてすべての言葉をマイナスに受け止めるんだろう」
「目を合わせないのはどうしてだろう」
「よく笑ってるのは自衛のためなのかな」
などなどフッと浮かんでくる疑問や会話の中の相手の切り返し、意見、主張、こだわり、何かが引っかかるとその人と関わりを持ちたくなるわけです。

ただ、こちらが関わりたいと思ったところでそう単純に関われるってもんでもありませんが、ありがたいことに私は色々な人たちと関わらせてもらってるほうだと思います。

昨日と一昨日、ライブをしたのですが、嬉しいことに見に来てくれる方もたくさんいましたし、共演の方々もカッコ良いし、思うような歌も歌えたし、新しい出会いもありましたしで、お腹いっぱい、幸せでした。

毎度毎度ライブの場、この時間の中ですごく不思議に感じるのが、私と世代の違う人たちがとても真っすぐに関わりを持ってくれることです。
共通点なんてあのバンドが好きだとか、同じメーカーのギターだとか、このお店によくお世話になってるだとかなんですが、酔っ払いながらゲラゲラ笑ったり真剣に語ったりしてる時にその他の場で感じる疲れや虚しさがないんです。

多分、見返りを求めていないやり取りだからなのだと思います。
ただそこにいるだけで“接待”を求められる。というのが今まで、幼少期からずっとあったせいでそうではない場にいることが楽しくてたまらないわけです。

どうあがいたって女なわけで、それはまぁ仕方のないことだし嫌なことでも不幸なことでもないのですが、世の中は“女”というものに過剰な役割を与えてきます。無償の奉仕、無償の愛、無償の…
うすら寒いその幻想が社会の無意識に浸透しているこの世の中において、その役割を避けようにも避けられないのです。
だからどうするかというとその役に徹するか、その役を至高のものだと脳を騙すか、その役を演じる回数を減らすかなわけです。

私だって鬼じゃないですから、無意識に女性性に無償の奉仕を求めてしまう人に対していちいち無意識にある差別意識を顕在化させて説教をしようなんて思いません。疲れますし。だから自分に負担にならない程度のことはしてあげます。
その役を演じるうえでやらなきゃいけないことの中には奉仕などではなく、親しい人たちと楽しく過ごすためにやることだって混在してます。
そういう親しさを表す行為、楽しさのための行動、そういうものは自然と現れるもので相手に求められて提供するものじゃないというだけで。

つまらない話を聞かされてリアクションをしないことに激高されたり、持論を聞かされて反論したら激高されたり、俺のことを好きになれと激高されたり、自分が女性性を持っていなければこんな激しい頻度で他人の小汚い負の感情をぶつけられることはないんだろうなと常々感じます。
もちろんこれは男性から女性だけじゃなく、女性から女性へもありますし、その逆、男性から男性、女性から男性だってあります。
ただ、頻度は男性から女性ってのが一番多いでしょう。

そんな疲れることの多い日々の中でライブハウスで出会う人たちは私の支えだなと思いました。
そんなつもりなんてなかったのにいつの間にかそうなっていたのです。

そうなった理由の一番はやっぱり歌ってるからでしょう。
やりたいと思ったこと、そりゃ売れたいしワーキャー言われたいですよ。
でもそれが人生の最大の目的じゃない。
最大の目的は歌いたいことを歌う、それが叶って、次は歌いたいことを歌い続ける。
そのためにどうしようか、何をしようかってわけです。

歌ってる言葉の中に嘘をいれないことを心掛けてきたことがライブハウスで出会った人たちとの関係に強く影響を与えてくれてるようです。

その時その場所、下手すりゃ一期一会、次に会うのは何年先かわからなくても自分が必死になってる様を認めてくれる人たちはとても真摯に向き合ってくれる。

濃密な関係というのは時間や行為じゃなく、さらけ出すことと受け止めることなのかなと思いました。


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