[悲報]いい人≠信用できる人

悲報ってか、今更なのか。最近、なんかふっと降りてきたんだけれど、(多分、3月の出来事が昇華され始めている証拠だと思う)、信用できる人と、いい人との間に相関関係はないと思った方が良い。「あの人は信用できるけど」に続くことよりも、「あの人はいい人だけど」の後に続くことの方がネガティブじゃないだろうか?

人を信用する、と言ったときの自分の判断基準はなんだろうかと考えるとき、一番わかりやすいことには「約束を守ること」があるんじゃないかと思う。自分が言ったことに責任を持つ。有言実行は小学生の頃好きな四字熟語として発表した言葉だった。

逆に言うと、それ以外に人はどのようにして人を信用するにいたるのだろうか?口が上手い人は一見信用できそうにみえて、自分の言うことに全く責任を持っていないというのが最近学んだことであった。だから、その人が私に何を言うかで人間付き合いを決めてはいけない。

でも逆に言えば、私も関わる人全員に対して信用できる人になる必要もないのだと思うと少し生きやすくなった気がする。私が、この人には信用されたいと思ったら、その人の信用を得る努力をすべきだけれど、それは私が選べることなのだ。出会う人出会う人に信用される必要なんて、おそらくはないのだろう。相性が合わなかったらバイバイすれば良いのだ。なぜかそのことを恐ろしく思いがちなのだけれど。

気がつくまで時間がかかったけれど、気がつけてよかった。人間、失敗してみないとわからないことって、たくさんあるから。失敗を恐れたくないな、と最近思う。いつだって、その気があれば立ち直れるし、やり直せる。生きてさえいれば、ね。


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