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空蝉(うつせみ)

あれは父の四十九日法要の後のことだった。
生前、父がお気に入りだった窓際の椅子に腰掛けて庭を眺めていたら、梅の枝に掴まっている蝉の抜け殻が目に留まった。
春とは名ばかりのキリっと冷えた三月の空の下、まだ山には白い雪の残る景色の中で、季節に取り残されたようなそれはちょっとした異彩を放っていた。
私は直感的にその蝉の抜け殻に父を重ねた。
庭いじりが好きだった父のお気に入りの梅の木。
夏から秋口にかけての台風にも木枯らしや大雪にもさらわれずにそこいた不思議。
それは半年以上経過したとは思えない艶やかな抜け殻だった。
もしかしたら本当に今さっき飛び立って行ったのではないだろうか。
心にぽっかり穴が空いてしまった私たちの側でそっと見守っていてくれたのではなかろうか。
わりと本気でそんなことを考えてしまうくらい、私は父が恋しかった。

幼い頃の私は休みの日に庭の手入れをする父の側にいるのが好きだった。
父に褒めてもらいたくて土を運んだりスコップで穴を掘ったりして手伝った。
広くはないが四季折々の花が咲き果実が実る庭が好きだった。
あいにく私自身には園芸のセンスはなかったのだが。
私が育てたブルーベリーの苗はついに結実することはなく、ジャガイモは収穫の機会を得ず、1人暮らしで買った観葉植物はことごとく枯らしてしまった。

東京で暮らし始めて以降、タイに住むようになってからも、私は母の誕生日には毎年欠かさず鉢植えの花を贈った。
ただ母も私と同じで園芸は得意ではなかったため、後の手入れはいつも父が引き継いだ。
庭の一角では父が鉢から植え替えて育てた牡丹の花が今でも花を咲かせる。

私が父を投影した蝉の抜け殻は、法要が済んだ後もしばらく梅の枝に掴まり続けた。
なんとなく気になった私は、タイに戻ってからも時折母に蝉の抜け殻のことを尋ねていたのだ。
6月のある日、母から梅の枝をバッサリ切ったと報告があった。
もはや母には梅の手入れをする余裕がなかったのかも知れない。
その時不思議なことがあったのだと母が言う。
枝をカットする前には確かにいた空蝉が消えてしまったらしい。
不思議に思った母は周りを丹念に探したが見つからなかった。
「空蝉はひょっとしてお父さんのもとへ行ったのかなあ」
と母が言った。

今年の8月、一時帰国の際に仲のいい友人2人と信州旅行をした。
3人はかつてタイの地方都市ピサヌロークで知り合った。
数少ない同年代の日本人在住者同志、週末は共に食事をしてビールを飲んだ。お互いの愚痴や失敗、笑えるエピソードや情報を共有しては楽しい時間を過ごした。
2人は既に帰国して久しく、私だけが今でもタイに留まっている。
それでもたまにこうして日本国内を旅行したり、2人の来タイ時には一緒に食事をしたりと、いまだに良い交流を続けさせてもらっている。
もっとも、この数年はコロナ禍でそれも叶わず、今回は久しぶりの再会であった。

コロナ禍ではみんなそれぞれに少なからず影響を受けたわけだが、その間に友人Mは別の健康上の問題を抱えていた。
要らぬ心配をかけまいと敢えて伝えなかったが、ここ数年の抗がん剤治療は辛いものがあった、と最近になって話してくれた。
ただ治療の甲斐あって問題の腫瘍は消失し(寛解)、普通に日常生活を送れるようになり、仕事にも復帰したと。
だからみんなすごくこの旅行を楽しみにしていたし、実際とても楽しかった。
歴史ある温泉に浸かって山の幸を堪能し、クラフトビールやお酒も飲んでたくさん笑った。

3人で国宝の三重塔へ向かう参道の道すがら、お地蔵さまに掴まっている空蝉に目が留まった。
私はあれ以来、蝉の抜け殻を見るとつい立ち止まってしまうようになった。
もうそこには居ないあの儚さと、確かにそこに居たという命の軌跡を尊く感じるのだ。

10月最初の夜、Mは旅立ってしまった。
8月にはあんなに元気な様子だったのに。
旅行から帰った翌週の定期検診で腫瘍の転移が見つかり、即入院となったらしい。

殊更にスピリチュアルなことを言いたいわけではなく、ましてやオカルト的な話をする意図もまったくないのだが、大切な人の旅立ちに際して偶然にも私の中に大きく印象を残した空蝉。

空蝉という言葉を調べると、こうあった。

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【空蝉】うつせみ
この世に現に生きている人間
この世
うつしみ
蝉の抜け殻
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空蝉は現世に生きる人なのか…。
もしかしたら、私は蝉の抜け殻に私たちの姿そのものを見ているのかも知れない。

大好きなM、本当にありがとう。


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