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誰にどう言われようと。

私は何がしたいんだろう?
私はどう生きたい(ありたい)んだろう?

何度も考えるけれど、毎回同じ答えにたどり着く問いが、この2つである。

新しい自分になってるんじゃないか、
新しい答えに出逢えるんじゃないか、
なんて期待するけれど、いつも期待外れ。

その答えにたどり着くまでの思考の深さは変わってるだろうが、
実は、答えは中学生の時から変わっていない。
まぁ、答えが抽象的であるというのも一因だろう。


毎回変わらぬ答えは、以下の通りである。

私は、目の前の人に笑顔になってもらいたい。
私は、すべてを愛せる人でいたい。


でも
「私にそんなことできない」と、不安になることもある。
「本当に思ってんの?」と言われ、考え直すこともある。
「自己犠牲じゃ幸せになれないよ」と言われたこともある。


つい最近は「私にそんなことできない」と、不安になった。

なぜそんなに不安になったかは覚えていないが、それを通して気づいたのは
何かや誰かを愛するには努力や忍耐をしてもいい”ということだ。

しばらく、我慢しちゃいけないと思っていた。
しばらく、自分の本心に従って生きなきゃいけないと思っていた。
しばらく、努力なんて、夢中になれない人の言い訳だと思っていた。

自分をどこまでも大切にした上で、
人やものやことを大切にしなきゃいけないと思い込んでいた。


でも、それができなくて。
私には、それがとても難しくて。

もしかしたら、本当に「目の前の人に笑ってもらいたい」「すべてを愛したい」と思っていないから、苦しいのかもしれない。


でも、我慢しても、忍耐力を発揮してでも、努力家だと言われようとも、
私は人やものやこと、地球を愛したい。

そんな自分が一番好きだから

自分のための行動なんだから、きっと自己犠牲にもならないはず。

こうここに記したからには、
覚悟を決めて、すべてを愛していこうと思います。

それで疲れても、そんな私ごと愛して器を大きくしていくんだぁ

今日の朝昼ご飯。ひとり暮らしは茶色くなりがち


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